2020年08月10日

正しい感想文の書き方

読書感想文で自由に書いてきた経験のある人は、
自由に書きなさい。
書き方がわからない人は、以下を参考にするといいと思う。


感想文なので、批評を求められていないことに気づこう。
書くべきことはあなたの主観である。
客観的なことはいらない。
あなたの思ったことが正義で、人と違うことを思ってもよいのだ。

最初に認識するべきことはそこだ。
他人と同じかどうかが正義ではなく、
あなたの思ったことに忠実かどうかが正義だ。

よくなかったら、ちゃんとよくないと書こう。
この場合、「糞」で思考停止するのはもったいない。
どういうところがどう糞だったのか、
ディテールを使いながら、徹底的に考察するのも一興だ。
普段はこうだ、理想はこうだ、とキレイなものとの比較もいいだろう。
こうだと思っていたのにこうだった、これは糞だ、
という比較論はとても面白いからだ。

もっと進んだつまらないものの感想は、
「こうであればよかったのではないか」という提案だ。
これは批評を越えて創造のレベルではあるが、
これが出来るならやってみるとよい。
そういうのが得意な人は、いずれ創作を始めるかもしれない。


よかった作品についての感想でよくあるものは、
「よかったです、以下語彙がなくて省略」
になるものである。
そこが見たいというのに。

こういうときは、
ものすごく好きなところを、
徹底的に語るとよいのだ。

どうせ感想文であり、批評ではない、という最初の前提を意識しよう。
妥当な批評かどうかなどどうでもよくて、
あなたの思ったことが正義だ。

ということで、ワンシーン上げるとしたら、
どのシーンがよかったのか、
そこに至る感激や感動について、
猛烈に好きならば、そのことについて、
ひたすら書けばよい。

もし、捨てがたいもうワンシーンがあれば、
さらに書いてもよい。
全部について書く必要はない。
よかったところを深く書けばよくて、
広く書く必要はない。

一部あれば、全部が想像できる。それが人間というものだ。
ああ、深く理解した感想だな、
なのか、適当に言葉を合わせただけだな、かは、
読む人には明らかだ。

感想文は自由だ。
他の形式でもよい。
しかし、どう書いたら分らない人は、
参考にされたい。

ワンシーンだけ、徹底的によかったことを並べるだけで、
それは最高の感想文になるぞ。


先日カフェで、
女子高生が夏目漱石の感想文を求められていて、
「どう書けばいいかわからない」と言っていた。
「先生がこう書いてほしい答えがあればコピペするのに」
と嘆いていたのを聞き、
それはおかしいと思ったのだ。
感想文に正解はない。求められる正解はない。
それを知ることだけでも、感想文を書くことに意味がある。
この世に正解がない文章があり得ることを知るだけで、
人生は豊かになるというものだ。

教師の求める答えを探すキョロ充になっても、
世の中を変える人にはなれない。
付和雷同して生きていくことになるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 00:02| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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