配列をマスターする、というのは、
単純に条件反射に覚え込ませて終わりではないと思う。
筆記用具は思考に影響を与えると僕は考えるので、
「その配列で考える脳」になるまで、脳を作り替えることになると思う。
単純に、
その配列で打ちやすい言葉と打ちにくい言葉がある。
完全な頻度順に比例しているわけではないので、
バラツキがある。
それをずっと打っているうちに、
その配列で打ちやすい言葉をよく使い、
打ちづらい言葉は使わないようになってくる。
ショートカットの道があればそこは通るし、
遠回りの道は使わなくなるのと同じだ。
(脳の神経回路がそういう構造)
先日は「ある」「ない」について議論したが、
似たようなことは、
もっと長い言葉にも適用できる。
たとえば、上の、
「にも適用できる」は薙刀式ではとても打ちやすい
(【DK】EW【I】L(EJ)WI、ただし【】はセンター連続シフト、()は同時)
が、
qwertyでは打ちづらい。
「にも」とか僕は苦手だし、
「できる」あたりも苦手。
薙刀式ならほとんど淀まずに一気打ち可能だが、
qwertyだと二回もつれが入る。(最適化なしの前提)
だとすると、
よほど強く「にも適用できる」と思わないと、
qwertyではそうは打たないし、
薙刀式ならちょっとそう思えばそう打つと思う。
ひとつの言葉単位でみれば大した違いではないかも知れないが、
もっと俯瞰すれば、
よく使う言葉の組と、
使わない言葉の組が、
使う配列によって異なることになるわけだ。
これが半年、一年、三年、十年もすれば、
ずいぶんと思考が変わってくると僕は思う。
逆に僕は、qwertyの押し付ける思考が大変嫌だった。
思考と指が一致しなくてイライラした。
手書きならばほとんど思考と指は一致している。
その感覚に、薙刀式はなるべく近くした。
書きやすい言葉は書きやすく、
書きにくい言葉は書きにくくした。
僕はqwertyが日本人の思考をおかしなことにしていると考えている。
どんなqwertyの動画を見ても、
上級者ほどおかしな指の形で痙攣するように打っていて、
それが自然な思考によって導かれたこととは思えない。
思考の強者で、指をコントロールして、
思考と指を分離できるレベルの人は、
それほど影響を受けないかもしれないが、
殆どの人は影響を受けると思う。
そんなに思考も指も強くないと思うので。
喋るようにqwertyを打てる人なんて一握り
(3%くらい?)で、
殆どの人は喋るようには打てず、
なんらかの抵抗を受けながらqwertyを打っている。
思考がどんどん歪んでいくと僕は思う。
喋るように打ちたいなら、おそらく親指シフトなどがいいのだろうが、
僕は脳内発声の発生しない配列がいいと思った。
薙刀式を使う時はそれがなくてほんとうに助かる。
手は第二の脳って誰が言ったんだっけ。
字を書く時は、手が一部思考を負担してると僕は思う。
その配列の考えるような思考様式に、
人はどんどんなってゆくと僕は思うのだ。
qwertyは、人の思考を歪めると僕は思う。
もっと自然な指遣いで、
自然な言葉を自然に打てるようにするべきだと思う。
ワープロの出始めのころ、
漢字変換が得意だから漢字ばかりの文章が増えた現象があるように、
自然でないものは不自然な文章や思考を生むと思う。
さて、薙刀式は誕生してまだ二年程度なので、
僕がどういう思考の変更を受けたかは未知数だ。
親指シフトがどういう人種や思考の人に選ばれ、
どう思考を一様にまとめていったかは、
今どういう人が残っているかで検証できるかもしれない。
(偏見だけど、偏屈な閉じこもりが多く、
オープンマインドが少ないと思う)
新下駄はオープンな人が多いと思う。
飛鳥は陰の者が多いような気がする。
薙刀式は柔軟でシンプルを好む人が多い?
Macが好きな人と思考が近いような気がしている。
検証できるほどサンプル数が少ないけど。
配列ばかりでなく、OSもそうだろう。
Mac信者はミニマリズムや合理性を尊ぶ人生を生きているような気がする。
(無印良品と近いけど、無印は味気なくてMacはもっと豊かだ)
なんとなく分かる感覚を、
なんとか文章にしてみた。
配列で思想を矯正できるか?という20世紀的人体実験をやらないと、
検証できない話ではあるので、
与太話ではある。
2020年08月06日
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