多言語習得者の周辺の問題のツイート。
実に興味深い。
https://mobile.twitter.com/corocoro_oimo/status/1290580062790545408
言うことの話であったが、
以下書くことの話をする。
僕は脳内発声のない状態でものを書く。
言うことと考えることは、
僕にとって別だ。
話し下手であるコンプレックスがある。
だから、話す言葉と書く言葉は、
実は僕の中で分裂している。
話すことが下手だからこそ、
僕は書く言葉を発達させた。
仮に、書く言葉を第一言語とすると、
話し言葉は第二言語にあたる。
第一言語が発達してきて、
僕はやっと人と話せるようになったような記憶がある。
(いまでも初対面の人と話すのは苦手)
さらに書き言葉に深く潜る。
僕にとって第一言語は手書きで、
qwertyは第n言語扱いだ。
フリック登場前、
僕は大変苦しかった。
手書きで書けることの何分の一しかqwertyで書けない。
ずっと手書きで原稿は書く。
(900字/10分。汚い字の代わりに、普通の人の3倍くらいあるらしい)
デジタルで入稿しないといけなくなって、
もう何年たつかな。
qwertyは清書マシーンと割り切ってきた。
qwertyで書ける気がしない。
日本語話者にとって中学英語ぐらいで小説を書くような、
苦痛ともどかしさを、
僕はqwerty(サイトメソッド)に感じ続けてきた。
これじゃだめだ、
qwertyのブラインドタッチをマスターしよう、
そう決心したのが三年前。
その時はそれしかないと思っていたからね。
で、やってみて、そのおかしな運指に気づく。
みんなマジでこんなのやってんのと。
キーボードなんて受け取った信号を変換テーブルで文字に変換してるだけだろ、
それを変更するプログラムくらいあるだろ、
と調べて、
僕は「配列」と言う言葉を知り、
現在に至る。
多少はqwertyのブラインドタッチをできるようになったが、
薙刀式に比べればうんこちんちんである。
手書き100
薙刀式65
フリック30
カタナ式25
qwerty5
音声入力2(話し下手)
くらいかな。僕にとっては。
カタナ式よりフリックが勝るのは、寝床でも散歩中も書けるからだ。
どんなに配列や自作キーボードを頑張っても、
手書きには歯が立たない。
今小説をこっそり書いてるが、
絶対手書きしか使わない。
パフォーマンスが落ちまくる。
脳の一番近いところの言葉を、薙刀式でも取りこぼす。
薙刀式が1800行こうが関係ない。
スピードじゃない。
思考に近いかどうかなんだ。
おれそのものに、近いかどうかなんだ。
だから、多言語話者のこの悩みは、
痛いほどわかる。
薙刀式のなかった頃の僕と同じ痛みを抱えているのだから。
僕にペンがあって良かった。
どこまでも深く潜れる。
薙刀式はまだ65までしか来ていないが、
第二言語としてだいぶマシになってきた。
75くらいまでは上げたいが、なかなかうまくいかない。
デジタルでしか書けない人は、
一度手書きで900くらいの速度で書けるように訓練してはどうか?
(速さや字の汚さの目安は薙刀式動画で見れます。
見ればわかるけど、書き順だけは正規のまんまなんだよね。
だから崩し方が一定で、あとから解読できるのさ)
世界が変わると僕は思う。
タイピングが得意な人は、タイピングが手書きを超えて、
自分がそっちになった人が多いと思う。
僕は、手書きにそれを取り戻すと面白いことが起こると思っている。
それは、薙刀式が50を超えたあたりから、
手書きとデジタルがなんとなく繋がり始めてきた感覚を持ったからだ。
思考が、どちらにもうまく漏れ始めた感覚があった。
ことばはその人そのものだと思う。
思考の道具だからだ。
思考の道具は、それぞれが独自で手に入れるべきだ。
薙刀式がその役に立つのなら幸いである。
2020年08月06日
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