2020年08月06日

言葉狩りも甚だしいが、根はもっと深い

ドイツアウディのバナナ少女は性的か?
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2002300.html?ref=category2534_article_footer2_slider_&id=1388876


子供が大人の格好をしていて、
それがアニマル柄なのが問題らしい。
あれはビッチの着る服であると。
ついでにバナナで数え役満。
つまりバナナは戦犯ではなくダメ押しらしいぞ。

「スポーツカーは、子供を背伸びさせる。」
というような憧れを描くものであれば、
それもアリだったかもしれない。

背伸びした結果ビッチなら、それは意味ないかもだが。


僕はそもそも危険な場所に子供を立たせるなと思った。

このモヤモヤが、言葉狩りへの原動力になる。


イチャモンがことば通りの意味になることは、
実はほとんどない。
イチャモンのことばの裏にある真意を読み取るべきだ。

ことば通りの対応をしていたら、
すべての車は事故を想起させるからアウトになるぜ。

車は危険だから面白い。
それを上手に広告できなかった、アウディのリテラシーのなさが、
自ら言葉狩りを招いたといえようか。


ていうか、いまどきチェック段階でやべえことくらい気づくやろ。
「やべえけどこれはこのような表現意図である」
という合意が社内で取れてない点において、
アウディ宣伝部はリテラシーが低い。

下らない言葉狩りを防ぐには、
表現に対する覚悟しかないよ。

その覚悟とは、
その非難を背負ってまでも、世界を変える価値があると、
表現を評価することだ。
posted by おおおかとしひこ at 21:59| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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