あるシークエンスと別のシークエンスのつなぎは、
どういうものがいいのか。
いつも迷う。
しかしある種の経験則がある。
たぶんダメなのは、こういうタイプだ。
あるシークエンスが終わる。
そこで執筆を一端終えて、今日は作業を終わりにすることにする。
次の日。
新しいシークエンスから書き始める。
なんとなく調子がつかめないので、
序盤を丁寧に書くことにする。
そうして伏線をそこで張っていくことにしようと思うわけだ。
新章の開始なのだから、その余裕はあるだろうと判断するからだ。
これは間違いだと僕は思う。
なぜなら、
あなたはシークエンスとシークエンスの間に、
一回寝てしまっているからだ。
観客は連続してこれを見ている。
シークエンスが一個終わったからといって、
休憩を挟まない。
前のシークエンスの終わりの部分の、
強烈な引きを引きずったまま、
次のテンポはさらに上がるだろうと期待している。
なのに。
あなただけが休憩してしまったのだ。
だからテンポはあがらず、
あなただけはテンポを掴んだような気になって、
観客のボルテージを下げることに成功してしまうのだ。
もしこれが、
週刊連載や、間に休憩を挟むタイプのものならば、
一回テンションをリセットして、
一から序盤を立ち上げていくことは効果的だ。
だが、
連続してみるものの場合、
リセットはご法度である。
観客を途中で停止させてしまうことになるからだ。
あなたは強制的に休憩時間をつくり、
観客をおいてけぼりにしてしまう愚を犯しているのだよ。
それを避けるためには、
「いま新しいシークエンスで、
セットアップをしている」
という感覚を捨てるべきである。
セットアップしてはならない。
続きを書くのだ。
前の劇的なエンドから、
直結したわくわくをつなげるのが、
あなたの仕事なのだ。
テンションを忘れて捨ててしまっている場合ではない。
前の高いテンションから、
どうつなぐかなのだ。
(そこでクールダウンするべきならば、
その目的どおりにクールダウンすればよい。
しかしどれくらいのクールダウンさが必要なのは、
事前に計算されているべきである)
そのためには、
セットアップなど一行でよろしい。
それすら必要ないかもしれない。
シーンの奥義は、
「一番大事なところから始める」だ。
つまり、
電車に乗ってそこについて、
スマホを開いて地図を見て、
目的地の建物にたどり着き、
ノックして入りなさいと言われ、
交渉人と握手して名刺交換し、
天気の話などしたうえで、
本題を切り出すのだとしたら、
(たとえそこまでの間に伏線が張られていたとしても)
そのシーンは、
「本題だが」
から始めるべきなのだ。
「本題だが」までを大胆に省略できるかどうかが、
寝たとしてもテンションがつながっているか、
ということなのである。
前のテンションはそのままにするならば、
起きていきなりマックステンションから入れるようにしなさい。
本題から入っても緊張感が半端ないように、
一行目から書きなさい。
起き抜けにいきなり書くには、
それが必要だというのに、
そこに気づいていない人がいる。
シーンとシーン、
シークエンスとシークエンスは、
どうつなぐのがベストなのか。
テンションをつなげることが、
ベストだと思う。
そしてそれは、大変な緊張の持続であるべきだと、
常に思う。
(これを防ぐため、経験的には、
シークエンスとシークエンスの途中で作業終わりにするのではなく、
次のシークエンスがはじまって、
乗ってきたところで作業を終えるといいそうだ。
流石に次の日、
乗っているテンションで始めないといけないことくらい、
無意識でも分るからだそうだ)
2020年08月11日
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