2020年08月11日

つなぎの工夫

あるシークエンスと別のシークエンスのつなぎは、
どういうものがいいのか。
いつも迷う。
しかしある種の経験則がある。


たぶんダメなのは、こういうタイプだ。

あるシークエンスが終わる。
そこで執筆を一端終えて、今日は作業を終わりにすることにする。
次の日。
新しいシークエンスから書き始める。
なんとなく調子がつかめないので、
序盤を丁寧に書くことにする。
そうして伏線をそこで張っていくことにしようと思うわけだ。
新章の開始なのだから、その余裕はあるだろうと判断するからだ。

これは間違いだと僕は思う。
なぜなら、
あなたはシークエンスとシークエンスの間に、
一回寝てしまっているからだ。

観客は連続してこれを見ている。
シークエンスが一個終わったからといって、
休憩を挟まない。
前のシークエンスの終わりの部分の、
強烈な引きを引きずったまま、
次のテンポはさらに上がるだろうと期待している。

なのに。
あなただけが休憩してしまったのだ。
だからテンポはあがらず、
あなただけはテンポを掴んだような気になって、
観客のボルテージを下げることに成功してしまうのだ。

もしこれが、
週刊連載や、間に休憩を挟むタイプのものならば、
一回テンションをリセットして、
一から序盤を立ち上げていくことは効果的だ。
だが、
連続してみるものの場合、
リセットはご法度である。
観客を途中で停止させてしまうことになるからだ。

あなたは強制的に休憩時間をつくり、
観客をおいてけぼりにしてしまう愚を犯しているのだよ。


それを避けるためには、
「いま新しいシークエンスで、
セットアップをしている」
という感覚を捨てるべきである。
セットアップしてはならない。
続きを書くのだ。

前の劇的なエンドから、
直結したわくわくをつなげるのが、
あなたの仕事なのだ。

テンションを忘れて捨ててしまっている場合ではない。
前の高いテンションから、
どうつなぐかなのだ。

(そこでクールダウンするべきならば、
その目的どおりにクールダウンすればよい。
しかしどれくらいのクールダウンさが必要なのは、
事前に計算されているべきである)

そのためには、
セットアップなど一行でよろしい。
それすら必要ないかもしれない。


シーンの奥義は、
「一番大事なところから始める」だ。


つまり、
電車に乗ってそこについて、
スマホを開いて地図を見て、
目的地の建物にたどり着き、
ノックして入りなさいと言われ、
交渉人と握手して名刺交換し、
天気の話などしたうえで、
本題を切り出すのだとしたら、
(たとえそこまでの間に伏線が張られていたとしても)
そのシーンは、
「本題だが」
から始めるべきなのだ。

「本題だが」までを大胆に省略できるかどうかが、
寝たとしてもテンションがつながっているか、
ということなのである。


前のテンションはそのままにするならば、
起きていきなりマックステンションから入れるようにしなさい。
本題から入っても緊張感が半端ないように、
一行目から書きなさい。

起き抜けにいきなり書くには、
それが必要だというのに、
そこに気づいていない人がいる。


シーンとシーン、
シークエンスとシークエンスは、
どうつなぐのがベストなのか。
テンションをつなげることが、
ベストだと思う。
そしてそれは、大変な緊張の持続であるべきだと、
常に思う。

(これを防ぐため、経験的には、
シークエンスとシークエンスの途中で作業終わりにするのではなく、
次のシークエンスがはじまって、
乗ってきたところで作業を終えるといいそうだ。
流石に次の日、
乗っているテンションで始めないといけないことくらい、
無意識でも分るからだそうだ)
posted by おおおかとしひこ at 01:51| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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