2020年08月12日

ミッドポイントはどこか

僕は構成に困ったとき、よくこれを考える。
全体のミッドポイントでもそうだし、
幕の中でのそれぞれのミッドポイントもそうだし、
シーンのミッドポイントなどもだ。


ブレイクシュナイダーは、
「仮初の敗北または勝利」と明言しているが、
僕はそこまででなくていいと考えていて、
シドフィールドの、
「前半戦と後半戦を分ける分岐点」
くらいで考えていいと思っている。

大事なのは、
ミッドポイント以前の大きな文脈と、
ミッドポイント以後の大きな文脈が、
がらりと変わることだ。
そしておそらく、それらは対句になっているだろう。

たとえば、
前半が大きくは「あいつを探せ」、
ミッドポイントが「あいつを発見」だとしたら、
後半は「あいつを捕まえろ」
になるということ。

もしあいつが後半早々に捕まってしまうならば、
それはミッドポイントではなかったのかもしれず、
あるいは文脈の捉え方、
「探せ」と「捕まえろ」の対が間違っているかも知れない。


つまり、
ミッドポイントはどこかを見極める行為は、
「前半の大きな文脈と、
後半の大きな文脈で、
対になるところはどこだろう」
を考えることであると僕は思う。

そして、それが変わる転換点が、
大体半分に来ているかを見極めると良い。
(ミッドポイントは、ちょうど半分ではなく、
55%あたりのやや後半にあることが多い。
そのあと畳み掛ける加速感があるからだろう)

仮にミッドポイントをAとして、
A前の文脈と、A後の文脈が対になっていたとしても、
別の点Bがミッドポイントである可能性もある。
B前の文脈とB後の文脈も、
同様に大きな対になるのならば、
Bがミッドポイントかもしれない。

同様に、C、Dと、ミッドポイントの候補が、
複数あることがある。

これは、ページ数で決定するのではなく、
内容とテーマで考えたほうがよい。


自分の書いているストーリーは、
一体どういう内容がメインなのか?
を問うことになるわけだ。

その上で、
それを描く前半の文脈と後半の文脈はどう対になるかを俯瞰して、
その転換点を、真のミッドポイントと考えるべきである。

ミッドポイントの候補が複数あるときは、
とくにストーリーに迷いが生じているときだ。

こういうときは、
部分の文脈から全体の文脈にフォーカスを動かす。
つまりミッドポイントABCDの前後がどう面白いか、から、
その前後の文脈は、
全体のテーマとどう関係しているかを表にしてみる。

それがもっともしっくりする、
前半戦と後半戦の文脈の対比を、
ふたつに分ける転換点がミッドポイントだ。

つまり、
結局は、この物語はおおまかにどう進んでいるのか?
に答えることが、
ミッドポイントをはっきりと意識できるかどうかに、
比例するわけだ。

そのとき、
新しいかとか、斬新かとかに気を取られてはならない。
あくまで、
あなたのストーリーの前半後半、
ということで考えなければならない。

あなたのストーリーが、
そもそも新しくなく、斬新でないならば、
ミッドポイント前後の文脈もそうなるだけで、
ミッドポイントを書き直すことだけでは、
あなたのストーリーを、
斬新に、新しくする方法には不十分だ。

もし、
ミッドポイントの前後の文脈が、
平凡で退屈だなと思うのならば、
ミッドポイントの選定が間違っているか、
そもそもあなたのストーリーが平凡で退屈、
ということには気づいておこう。



で、ようやく本題。

こうかなというミッドポイントを定義したとき、
それがページ数的にも半分であることを確認しよう。
(実際には55%あたりのやや後半にいることが多い)

もしそうでない場合、前半か後半、長い方を削りなさい。

リライトにおいて足すことは簡単だが、
削ることは痛みを生じる。
だから感情的にそれを残して、短い方に足すことで、
ミッドポイントに整えようとしてしまう。

これは、二重に間違いである。
長い方を削らずに間延びを放置し、
短い方も間延びさせるわけだから。


つまりミッドポイントの発見(再発見)は、
前半と後半、どちらが無駄に長いかを発見するための道具なのだ。

このことのために、
ミッドポイントを考えるのはとても役に立つぞ。
posted by おおおかとしひこ at 00:01| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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