qwertyローマ字や親指シフトやJISカナで、
既に相当の速さに達していたり、日常で問題を感じない人には、
どれだけいいキーボードや配列を勧めても意味がない。
勧めるのは、「困っている人」にだと思う。
疲れる、指が痛い、腱鞘炎である、
もっと書きたいのに指が追いつかない
(速度面でも、疲労面でも)、
思うことの蒸発に耐えられない、
などの問題を自覚している人には、
キーボードを変えたり、
あまつさえ配列を変えるのを勧めるべきだと思う。
配列を変えるのにはそれなりの努力が必要だからで、
その努力には、問題意識とそれを解決する期待が必要だ。
世の中にはqwertyでも全然速い人がいて、
指の疲れない人もいる。
(僕は親指シフトは、使用頻度から親指が痛くなるだろうと予測するが、
そうでもない人も多い。
少なくとも動画ではゴツイ人が多いので、
弱い人の存在に気付いてないのではないかと仮説を立てている)
そういう人はそのままやればいいと思うんだ。
フリックも楽に打てるけど、
せいぜい数千字で、
僕の目的くらい大量に書くことは、
僕には無理だ。
でもツイートやメールを数通程度なら、
フリックでも全然問題ないと思う。
方式は、目的と大きく関係する。
僕の場合、かつては、
qwertyローマ字のサイトメソッドで問題を感じていなかった。
実際にはたかが6000字のコピー打鍵に、
3時間(休憩含めて4時間以上)かかっていて、
タイピングとしては遅かったわけだが、
頻繁にあるわけでもないから気付いてなかったのだ。
問題を感じたのは、
「いい加減サイトメソッドを辞めて、
効率的と言われるブラインドタッチを学ぼう」
と思った時で、
使ったこともない左小指や右小指が悲鳴を上げて、
「こんなやり方が効率的であるわけがない」
と思ったからだ。
僕の目標は一日1〜2万字だ。
それをし続けても大丈夫なキーボードと配列が欲しい。
その要求が言えるのは、
僕は手書きでそれくらい書くからだ。
手書きで出来ることがデジタルで出来ないのならば、
デジタルにする意味がない。
今のところ、これだけ研究努力したにも関わらず、
本気の原稿では手書きで数万字書き、
タイピングで清書する形を取っている。
しかしブログ程度の作業量と質ならば、
薙刀式で十分楽に書ける。
(手書き時代は、こんなにブログを書くとは想像もしてなかったし。
その前はフリックやqwertyでブログを書いてたが、
カタナ式や薙刀式を使いこなすようになり、
ブログの量も増えて、効率も上がった。
質は同じくらい?)
たぶん、
キーボードや配列に問題を感じない人は、
それ以上にやろうというきっかけがないのだと思う。
現状の大幅効率化というよりも、
僕は「大量の作業発生」(小説を本格的に書く)
が、そのきっかけであり、動機だった。
腱鞘炎を患うのも、不幸だけどそのきっかけになるだろう。
ブログ始めました、アフィリエイト始めました、などもそうだろうか。
(ブロガーが親指シフトを始める例は、
100人くらいは見たと思う。
継続してる人は数人くらいしかいないかもね)
ライター稼業の人は、
こんなもんだと思ってやってるだろう。
「配列を変える」発想すらないだろうし。
「そんなことが可能なの?!」って驚くんだろうね、たぶん。
また、
ある程度の「自分で調べて自分でメンテナンスする」
というPCスキルが必要なことも、ブレーキにはなっている。
半田付けが自作キーボードの障壁になってるのと同じだろう。
自作キーボードも同じくで、
「それをやる積極的な理由がない」はあると思う。
(そこに「かわいいから欲しい」という新しい動機を作ったのは、
すごいよね)
セキュリティを重視するあまり、
「インストール不可、デフォルトのみで使用のこと」
が広まった会社PCにも問題がある。
「PCは自分で設定することで、
いくらでも可塑性のあるシステム(台所と同じ)」
という常識が崩れ、
「与えられたものを言われたように使う」だけになってしまった。
エクセルのマクロを組んだだけで神扱いされる世の中は、
PCというものがどういうものか、
あまりにも無知であると思う。
ということで、
配列を変えることはどういうことか、
世の中が考えを持てなくなっているうえに、
「qwertyで十分なので」が大半を占めているわけだ。
僕は作家や、沢山書きたい人の味方でありたくて、
「配列を変える選択肢があり得る」
「PCは設定を自分でやる可塑性システム」
であることを、訴えようとしているわけだ。
そもそも、
「沢山タイピングしなければいけない」人はそんなにいない。
限られた範囲しかいないから、
過半数を幸せにする社会システムから取りこぼされる部分だ。
そのうち、qwertyに適応できた人は、
全員ではないと思う。
qwertyは早打ちは可能だが、
沢山の文字を打つのに適した方法ではない。
疲労なんか考えられていない。
タイピストを随時交換し、使い潰す(馬と同じ)時代の配列だ。
書く本人とタイプする人は別人想定だろう。
車の運転や馬車もそうだった。
専門の技能者が別にいた。
しかしそうではない。
書く本人が、自分で車を運転するようにqwertyを使うことなど、
qwertyが生まれた時代は想定されていなかったと考えられる。
(状況証拠による推定)
つまりqwertyに適応できた人は、
あまり書かない人でそんなに問題を感じてないか、
たまたま適性や努力により、専門技能を持つ、
職業御者レベルになった人だ。
作家やライターは、どちらでもないと思う。
自分で運転する前提で作られ、
免許制度がある車とは違うのに、
彼らは職業御者であることを強要されている。
これから作家やライターになろうとしたり、
腱鞘炎などで疑問を持った人は、
配列を変えることにたどり着くべきだ。
車のメンテを自分ですることに比べれば、
各種配列を変えるソフト(エミュレータ)の使い方は、
難しくないとは思う。
qmkを弄るという、エンジン以外自作みたいな変態(褒め言葉)は置いといて。
現行のメジャー配列、
qwertyローマ字、JISカナ、
フリック、ガラケー打ちは、
どれも良いやり方とは思えない。
これらを改良するために、新配列がある。
代替配列という言い方もあり、
alternative配列ならわかるけど、ちょっと言葉の意味がわかりづらいので、
僕は単純に新配列とかモダン配列を使っている。
でもそれだけでは、
「旧来のものに代わる、次世代のやり方」とは言えないので、
次世代配列、新世代配列、第三配列、
なんて言い方にした方がいいかもしれないと、
最近思っている。
次世代ゲーム機みたいに、規格戦争になるのはしょうがない。
まだ最高の次世代配列、新世代配列は、決まっていない。
(横綱に新下駄と飛鳥、大関に月、新参薙刀式がそれを追いかける展開か。
没落中に親指シフトといったあたり?)
現状に適応した種は、そのまま生きていればいいと思う。
現状に適応できなかった種が、別の手段を得ればよいだけだ。
そして世界を変えていくのは、
必ず新しい種からだ。
2020年08月12日
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