2020年08月17日

可能性という夢だけを食って生きてゆく

ストーリーを完結させるのが下手なのは、
若者特有のこの心理が働いている可能性がある。


たとえば、
「彼女に告白しない」のは、
決定的なことが起こるのが怖いからなのもあるけど、
「行けるかも、という『可能性の状態』のままでいたい」
という心理が働く感じ。

「俺はまだ本気だしてないだけ」なのは、
本気出してダメで傷つくよりも、
「本気を出せば行けるかもという、
『可能性の状態』でとどまっていたい」心理。

おじさんの下ネタ好きも、
「まだ俺はいけるぞ」の状態に留まりたい心理だという話もある。

予告編の方が本編より面白く、
登場シーンが本編より魅力的で、
一幕の方が二幕より面白いのは、
そうした心理の可能性がないか?


出落ちを防ぐには、
本編を面白くするしかない。

彼女にどう告白するのか、
彼女はどう思うのか、
成功するのか失敗するのか、
その後どうするのか、
それからどう付き合い、
どう別れるのか、
(結婚、出産、子育て終わりまで行っても、
まだドラマは残ってるよね、周りを見てると)。

それらを面白く書けないから、
『可能性の状態』、
つまり、
「これからどうなるか分からないからワクワクするぞ」
をキープし続けてしまう。

「アイアムアヒーロー」の英雄は、
ずっとこの状態だった。
「銃を持った、最強の可能性の状態」でしかなかった。
だから前にも後ろにも発展せず、
ただ時間が経過しただけだった。
(端的には、禿げた)


ある可能性AとBがある。
Aを選び、相手がリアクションし、
次に何かが起こり、
またそれがあったことでこうなり、
Aは正しかった、Bをしなくてよかった
(またはその逆)、
となることがストーリーである。

「AもBも行けるまま、
ずるずると長い間キープする」は、
ストーリーではない。

三角関係もので、これをキープし続けるパターンがある。
しかし三角関係が続く間は、何もストーリーが進んでいない。
サザエさん時空と同じだ。
連載というのは長いほど儲かるから、
可能性の状態が長いほど儲けは大きい。
「はじめの一歩」で、伊達なきあと、
一歩が世界挑戦しなかったのはこれが理由だと思う。
(そのうちクソみたいになってしまったが)

「挑戦者は可能性の塊だが、
王者はあとは転げ落ちるだけ」
という言い方もある。

みんな可能性の状態にずっといたい。
永遠の春というのは、そうしたことだろう。


ところが、ストーリーとはそれと真逆のことなのだ。

転落またはマイナスからスタートして、
マックスのプラスで終わることである。

途中の成功や、最初以下の最悪の状態などを切り抜けながらの、
紆余曲折や行動による状況の変化の集積が、
ストーリーだ。

可能性の状態は、ストーリーはまだはじまっていない。
シュレディンガーの猫はストーリーではない。
箱を開けて生死を確認してからがストーリーだ。

(生きていたら、その箱に閉じ込めた犯人を探すストーリー、
死んでいたらタイムマシンを作り、
その猫を救いに行くストーリーになるだろう。
たとえば)



なぜあなたはストーリーを完結させられないのか?

若者だからかもしれない。
あるいは、責任を取って来なかったのかもしれない。
ストーリーとは、
登場人物の発言や行動は、
それがどのような結果に終わったとしても、それぞれが責任を持つからだ。


もしストーリーが完結しないのならば、
自分がサザエさん時空に取り込まれている、
すなわち、
「この可能性溢れる状態をキープし続けたい」
と無意識に思っているかチェックすること。

夜叉八将軍が揃っている絵は、
可能性に満ちてワクワクするが、
それが一人一人減っていくのがストーリーである。
posted by おおおかとしひこ at 01:01| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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