3Dの絵でパンフォーカスというと、
実はVRもそうだなと思ったので補足。
わかりやすい写真を入手したので議論しよう。
VR空間内で物販をやっているコミケ的なやつ?に、
自作キーボードサークルが出店の図。
これが「整理がされていない絵」だ。
現実というのはカオスに満ち、
どこを見て良いかフォーカスが定まらず、
全てが同時進行していて、
「これをこのように見れば良い」というガイドもない。
前記事での、
アングル、フォーカス、スポットライトなどは、
全てそれらを整理するためにある。
たとえば。
見てほしい自作キーボード店を目立たせるために、
全部をブルー系で統一するとしよう。
両隣はピンク、イエローと、
ブルーの補色系に統一する。
目立たせないために、彩度を落としたデザインにする。
その店に視線誘導するために、
「そこへ向かう人」を手前に立てる手がある。
絵の中に方向性をつけるわけだ。
(左の萌え絵看板に目が行きがちなので、
左手前に立たせて、「隠し」をしてしまう手が有効)
店員がいて、大袈裟にぴょんぴょん飛んでいて、
その絵の中で一番動く対象になってもいい。
また、背景の街はフォーカスがややボケて、
手前の客もフォーカスアウトにすると、
真ん中のレイヤーである「店」にフォーカスできる。
後ろの目立つ「P」もフォーカスがボケていれば目がいくこともない。
ついでに、全体をやや暗くし、
雲間から太陽がピンスポットで来たかのような、
鋭いライトを当てて、
テーブルの天面や自作キーボード本を光らせるとよい。
アングル(構図だけでなく、人物の動線、配置や色使いも含む)、
フォーカス、
スポットライトの3要素で、
この「ごちゃごちゃして分かりにくい絵」を、
「VRコミケみたいなところに、
自作キーボード店が出店したんだなあ」
が分かる絵にすることが可能になるわけだ。
これが、フィクションの力だ。
演出、作為ともいう。
フィクションとは、
「複雑な現実を、ある角度から切り取ってわかりやすくするために、
整理すること」に他ならない。
3D映画やVRは、その手段が、
2Dに比べて希薄なのである。
作為が希薄だからだ。
バカみたいにリアリティリアリティいうやつは、
この「フィクションとは整理である」が分かっていないのだ。
ごちゃごちゃした現実を、
そのまま取り出したって、
何も意味がないのだ。
この絵を見た第一印象のようにだ。
で、これは脚本論なので、
ストーリーでも同じだ。
焦点、プロットライン、テーマといったものは、
「カオスな現実から、
ここを見てくださいと示す」
ための作為の道具だ。
そしてその作為こそ、あなたの意志で選択された、
「あなたによって作られたもの」である。
2020年08月15日
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