2020年08月17日

【薙刀式】キーボードが喋る感覚

qwertyローマ字のすごいタイパー、
パソ活さん(動画多数。初見長文を1500字/10分
https://m.youtube.com/watch?v=5AeHaoNdveY
)が、
熟達すると「キーボードが喋るような感覚になる」
と言っていて、
最近の僕の感覚から、それがなんとなくわかってきた。


たぶんパソ活さんは脳内発声があるタイプなのだろう。
僕は一切音声を鳴らさずに思考して書くタイプなので、
以下の僕の感覚から想像して、
そのあと脳内発声ありを考えることにする。

脳内発声がないのを想像できない人は、
「脳の中が静か」なのを想像するかもしれない。
少なくとも僕はそうじゃない。

「考えに至る前段階の考え」が、
そこら中にうねり、飛び交っている。
それはまだ文字になっていない何かで、
色や形や柔らかさや尖った感じや、
温度や湿度や速度感覚や重さや高揚感を持つので、
五感で言えば触覚に近いと思う。

それらが単独で飛んでたり、浮いてたり、
融合したり分裂したり、ぐるぐるしてたりする。
自分の平衡感覚を保ちながらも、
時々天地がわからなくなることもある
(平衡感覚を忘れているという感じ)ので、
おそらく重力はないのだろう。
(考えに重力がない、というのもエキセントリックな言い方だ)

それがなにかしらの方向性を持ち、
ある方向に対してまとまりだしたとき、
そしておそらくゴールがなんとなく見えたとき、
僕は書き始める。

その時にキーボードと薙刀式があればそれを使い、
スマホがあればフリックにして、
紙とペンがあればそれにする。

使い分けは、
2000字程度にまとまった考えなら薙刀式、
一行アイデアや移動中やPCセット組み立てる暇がないならフリック、
本気の原稿や、広い紙にアイデア同士の関係を見るときは紙とペン。
頭の中は触覚に近いので、
姿勢を変えると考えはどこかに飛んでいく。
家で寝転がってる時に書きたくなったものは、
起き上がり机のPCに向かうと忘れてしまうので、
寝転がったままフリックで書く。
本気原稿を書くときは正式に机に座って姿勢を伸ばす、
ベスト姿勢を事前に取るのがルーチンになっている。

で、
薙刀式の場合なのだが、
思考が言葉になると、
線のようなものが指先に現れる。

ダンスの振り付けの、「次に右手をこう動かす」
みたいな線と似ている。
○指をこう動かし、○指をこう動かす、
みたいなことを集積した線だ。

でもダンスするとき線を意識すると逆に動けなくなるみたいに、
自動化された何かになっている。

なので、
僕の場合は、
思考に合わせて勝手に指が動く感じ。
これが、「頭の中から思考が指を介して出て行く」
ような感覚になる。
打ち慣れていないワード(たとえばサブウェイ)が来たら、
「ええと、ウェはこう打つから…」と線を意識して、
再び無意識に戻る。

それが回転し始めると、
指を動かしている意識すら消失する。
歩いている時に、今右足が動いて、今左足が動いて、
みたいに意識しないのと同じ。

思考は歩くような感覚になり、
気づけば文になっている。

(ミスタイプした時、IMEの変換が阿保な時、
打ち慣れていない言葉を打つときは、
足が段差でつまづいたみたいに、細かい意識で修正して、
再び無意識に戻る)


相変わらず頭の中の考えの渦は、
触覚をもって動き回っていて、
それを歩きながら文に捻り出していく感じ。
マヨネーズみたいなことかな。
頭の中の考えはぐちゃぐちゃに動くマヨネーズで、
それが星形に一直線に等速度で出て行く。
星形の穴が薙刀式。

それが淀みなく打てたとき、
だいたい綺麗な文章になっている。



パソ活さんの「キーボードが喋る」という感覚は、
ピアノみたいに、
キーが触れれば50音が鳴る、
みたいなことだろうか。

それ以前の脳内はどうなっているかは分からないけど、
文章として打たれるものは、
滑らかにつながって、文として曲になっている感じだろう、
と想像する。

あるいは、
親指シフトの「指が喋る」も似た感覚で、
同時打鍵のフォーム(猫の手)がある故に、
キーボードからよりも、指からその音が聞こえるように、
思うのかもしれない。

これらはあくまで自分の例から考えた想像で、
実際に指が喋る感覚の人と話したことがないため分からない。



完成文は音がないのに、
何故音が鳴るのだろう。
こういう人たちは完成文からも音が鳴る
(読みに関しても脳内発声あり)のかもしれない。

僕は読みも書きも音を介しないため、
思考→打鍵→完成文が音がなく繋がっている。

音の鳴る人は、
思考→打鍵→完成文は、すべて音が鳴るのかもなあ。

独り言をぶつぶついいながらも、
ブログを親指シフトで書いて行く動画を以前紹介したが、
https://m.youtube.com/watch?v=9emPBI_oJ6E
独り言が脳内の考え、
打鍵が「指が喋る」ことに一致しているような気がした。
この場合はマシンガントークではないぽつぽつのお喋りだけど。
(実際は独り言以前の考えが、
まだ頭の中に渦巻いていると予測される)



配列やキーボードは、
思考の前に消えるべきである。
そうすれば、思考を打鍵が邪魔しない。

それに反対する人はいないだろう。

僕にとってはqwertyローマ字は手間がかかりすぎて
(打鍵数、指の使用の無茶振り、エンターやBSやカーソルの遠さ)、
なにが邪魔でどう消すか、
に注力してきた気がする。
押下圧が低いキーや底打ちのクッションの工夫も、その一環。


最終的には、
マヨネーズが出て行く感覚になっているのだが、
それがピアノから曲が流れる感覚になっているのだろうと想像した。

なるべくマヨネーズがブリブリ言わないように、
長く綺麗にスムーズに行けるようにしたいものだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:34| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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