2020年08月21日

演じている

私たちは、つねにほんとうの自分を抑えて、
社会的役割やある種のキャラを演じていることがある。

バイト中は本来の姿を出さない、
好きな人の前では大人しくする、
部長として発言する、などだ。
それを、ちゃんと物語の中でも描けているか?


役者が誰かを演じるという。
そのとき、その人物像は一種類だろうか?

僕は、せめて二種類だと思う。
公的人物としてのその人と、
私的人物としてのその人だ。

父親としての顔と、浮気相手に見せる顔は違う。
バイト店員としての顔と、友達が来た時の顔は違う。
会社の部長としての考え方と、会社を辞めようと思っているときの考え方は違う。

人には公私がある。

また、
所属するコミュニティでも顔が異なる。
ゲーマーの集いのときの顔と、
家にいるときの顔と、
非ゲーマーの友達と会う時の顔と、
彼女と会うときの顔は、
全て違うかもしれない。

塾の友達と、学校の友達とは、違う関係性だ。
(リセット症候群の人は、
違うコミュニティに、定期的に入り、定期的に抜ける)

そうした感覚を書けているだろうか。
つまり、
あるキャラの一面だけを書いていないか?

人間というのはとても立体的だ。
ある面とある面は矛盾していたりする。
部長がテレカンしたら私服で娘をかわいがっていた、
なんてエピソードがギャップを示すように、
ある面とある面は、そもそもギャップがあるのだ。
身内に対する態度と知らない人に対する態度が違うこともある。


色んな人間が世の中にはいて、
その人の中でもいろんな面がある。
それを多角的に描かず、
その人の一面しか描かないのは、
それこそリアリティがないというものだ。

ある役者がジキルとハイドを演じます。
「凄い、まったく違う二役をやるのか!」
そうではない。

そもそもある役者が〇〇役をやるとき、
〇〇の◎◎な面や△△な面や●●な面などの、
一人〇役のようなことをすでにやっている。
あなたがあなたの〇役を演じ分けているようにだ。

それがシナリオにないなんてあり得ない。
あり得ないが、
それがちゃんと書けるだけの観察力と実力と、
ストーリーに生かす構築力がある人は、
なかなかいない。


どうやったら描けるかは簡単で、
複数のコミュニティでキャラを使い分けているさまを先に見せておいて、
その複数のコミュニティが、偶然一堂に会する場を設けるとよい。
家族の葬式に会社の人が来るとか、
バイトにおかんが来るとか、
違う趣味の集いに別の趣味で会ってる人が混じっているとか、
男同士の遊びに彼女がついてきたりなどだ。

そういう偶然の出会いにせずに、
もっとストーリー上の必然でも構わない。
テレカンで、というのは新しいギャップのシチュエーションの発見だったわけだ。
それを発明すればいいのである。
posted by おおおかとしひこ at 00:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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