という性質があると思う。
人の集団は、外の敵に向かって団結するか、
それがいない閉鎖的なときは内ゲバになる。
ある集団を描くときに、
それらをうまく配分させると面白くなる。
集団が固定され、閉鎖的になったことで、
個々の特徴を増幅して認識して、
必要以上に相手と自分の違いを強調して、
相手を非難することで自我を保つことは、
もはや人類の基本的性質ではないかと思う。
そのときに外敵が来て、集団が突然一致団結する性質も、
人類特有の性質のような気がする。
ということで、大同団結したり、
敵がいないことで内部に敵をつくり組織内組織をつくったりして、
人間の集団というものは、
アメーバのように収縮するのではないか。
その両方の面を描けると、
話はとても面白くなると思う。
日本の社会は外からの圧力がないと変わろうとしない。
それは、閉鎖性が強いため、内ゲバの力のほうが外圧より強いからだ。
内ゲバと外的の一致団結が、
集団内でまばらにあると、
とても面白い人間関係が描けると思う。
情報や判断の遅れや、価値観の差異はどこにでもあるがゆえに、
集団内の温度感がばらばらになり、
揺れることはいくらでもできそうだ。
組織の腐敗は内ゲバから起こる?
じゃあ、浄化は外敵の出現まで待たないといけないのか。
主人公が、これまでの常識を無視して、
集団を変えていくドラマはとても多いが、
それって内ゲバではない、外敵の扱いなのかもしれないねえ。
たいてい集団を変えるのは、
これまでになかった価値観である。
以前の価値観、新しい価値観を用意し、
そのコンフリクトが描けると、
ダイナミクスがあるだろう。
2020年08月22日
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