2020年08月22日

人類は放っておくと、内ゲバをする

という性質があると思う。
人の集団は、外の敵に向かって団結するか、
それがいない閉鎖的なときは内ゲバになる。


ある集団を描くときに、
それらをうまく配分させると面白くなる。
集団が固定され、閉鎖的になったことで、
個々の特徴を増幅して認識して、
必要以上に相手と自分の違いを強調して、
相手を非難することで自我を保つことは、
もはや人類の基本的性質ではないかと思う。

そのときに外敵が来て、集団が突然一致団結する性質も、
人類特有の性質のような気がする。

ということで、大同団結したり、
敵がいないことで内部に敵をつくり組織内組織をつくったりして、
人間の集団というものは、
アメーバのように収縮するのではないか。

その両方の面を描けると、
話はとても面白くなると思う。
日本の社会は外からの圧力がないと変わろうとしない。
それは、閉鎖性が強いため、内ゲバの力のほうが外圧より強いからだ。
内ゲバと外的の一致団結が、
集団内でまばらにあると、
とても面白い人間関係が描けると思う。
情報や判断の遅れや、価値観の差異はどこにでもあるがゆえに、
集団内の温度感がばらばらになり、
揺れることはいくらでもできそうだ。


組織の腐敗は内ゲバから起こる?
じゃあ、浄化は外敵の出現まで待たないといけないのか。
主人公が、これまでの常識を無視して、
集団を変えていくドラマはとても多いが、
それって内ゲバではない、外敵の扱いなのかもしれないねえ。

たいてい集団を変えるのは、
これまでになかった価値観である。
以前の価値観、新しい価値観を用意し、
そのコンフリクトが描けると、
ダイナミクスがあるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 00:07| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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