2020年08月19日

【薙刀式】思考単位と打鍵単位の一致

配列の理想は、僕はこういうことだと考えている。


楽であること、速いこと、
短距離、長距離、
指の総移動距離、
使用頻度分布、
などの客観的スペックはあると思う。

だが主観的な気持ちよさというか、
「自分と道具が一体化している」という感覚は、
「自分の思考単位が、
打鍵単位になっていること」だと思う。

たとえば上の文では、
僕は、

だが|主観的な|気持ちよさ|というか、

のように4単位で打った。
気持ちの上では、

だが|主観的な気持ちよさ|というか、

の3単位だけど、前に客観的な話をしているので、
「主観的な」は1単位として分離した感じ。


思考の単位は、前後の文脈でも影響を受けるし、
思いつく速度にも影響を受けると思う。
人間は機械ではないから、調子やバラツキもあるだろう。

こうした「思考の単位」を、
一気書きできる配列が、
多分理想なのではないか。

で、大体僕の場合、
名詞などの「話題の語」のあとに、助詞などの「繋ぎの語」
が貼りついたものが、おおむね思考の一単位となるようだ。

もちろんこれには色んなパターンがあり、
いま「もちろんこれには」が一単位だった。
よく使われる定型の繋ぎは、繋ぎの語として一単位になりがちだ。

上の文ならば、

よく使われる|定型の|繋ぎは|、|繋ぎの語|として|一単位に|なりがちだ。

のようになっていた。
「、」「。」は文の構造をそこで考えるときには一単位、
書く前から決まっていれば前の語にくっつくようである。


話題の語と繋ぎの語と、特別な言葉を与えたのは、
僕の思考の単位は文節ではないようだ、
という自己観察から来ている。

文節ならもう少し細かくなるが、
数文節を一単位にするときも僕はあるようだし、
考えながらのときは、文節すら分けて考えるだろうし。

で、おおむね、
「話題の語+繋ぎの語」か、
「繋ぎの語」が思考の一単位になる、
ということがわかってきたわけだ。

難しい言葉は、話題の語ひとつで一単位にもなりがち。

「精神分析学において」と書くとき、
精神|分析|学|において
となるだろうね。
慣れてる心理系の人なら思考の一単位になるかもしれない。


で、本題。

このような一単位を、
一打鍵のようにうてる配列が、僕的には理想だ。

アルペジオや左右交互があって、
打鍵がひとまとまりになっている感じ。
(悪運指がない感じ)

上の記号でいうと、|の間だけ指が休むイメージなので、
そこが悪運指でも問題ない感じ。

でもいつ|になるかは統計的に予測できないので、
悪運指は統計的に少なくする(話題の語)、
繋ぎの語の運指は良くする、
という二つの方針で薙刀式は作られている。

で、結果繋ぎの語は爆速で、
話題の語はそれなりに、
という速度感に落ち着いている気がする。


こうした考えを実際に動画で確かめたくて、
今準備中なのだが、
なにせ毎日暑いのでやる気が起きない。
セミの声も動画に入りそうだし…
(もはや静音スイッチなので、ほとんど音がしないのである。
しかし打鍵音はかなり重要な情報なので、
拡大するとセミの声も拡大されてしまう。
セミのEQって人の声と同じ周波数帯なんだよね…)

でも3Dキーキャップも落ち着いたし、
新しい打鍵法もどうやら良さげなので、
時は満ちたかも。



これまでの配列の議論は、
測定可能性からか、コピー打鍵に終始していたと思う。
コピー打鍵と創作打鍵が全く同じであれば、
(どちらも同じ、読み上げた内語を打つ、という人もいるだろう)
その議論は問題ないけど、
自分の思考をどう指の動きにするかということは、
やはりコピー打鍵にはない何かがあると思う。

そのことと配列の関係にもう少し踏み込みたい。
posted by おおおかとしひこ at 11:30| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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