2020年08月24日

濃いストーリーと薄いストーリー

の差はどこか。

濃い人間と薄い人間に集約される場合もあるけど、
ストーリーだけで純粋に考えると、
リンクの多さではないかと思う。


ストーリーを見る時、
「現在のシーンは、
Aが関係している」
などと観客は思いながら見ている。


極端な例を。

現在のシーンが彼女が怒っている場面で、
直前のシーンで浮気がバレたとしよう。

これは、
今彼女が機嫌が悪くて怒っているのではなく、
直前のシーンがAになり、
Aと関係しているから怒っているのだな、
などと理解しながら見ているわけだ。


これはまだ薄い。
濃くしてみよう。

付き合い初めの時に、
「私浮気だけは絶対ダメ。
前にひどい目にあってるから、
浮気しない人を選んだ」
というはるか前のシーンBがあったとしよう。

そうすると、現在のシーンは、
AとBと両方にリンクしているわけである。

さらに、彼女は飛行機が嫌いなシーンを見せていたとする。
これをCとしよう。
なんと浮気現場は飛行機の中のトイレであったとする。

そうすると現在のシーンは、
ABC三つのシーンとリンクしていることになる。

これが濃いストーリーである。
あるシーンについて関係するリンクが濃いのである。


どの現在のシーンでも複数のリンクを持って進行していると、
全体的に濃いストーリーであると感じるわけだ。

逆に薄いストーリーとは、
現在のシーンとのリンクがひとつとか0のストーリーのことをいう。


リンクは、たとえば伏線と解消の関係でもよい。
係りと結びみたいなものでもよい。
対句や倒置もあるだろう。
基本的には因果関係だ。
(最低でも、直前のシーンが関係しているだろう。
ブツ切れとは、それすらないことだけど)



ストーリーを書いていて、
なんか面白くないな、というときは、
大抵薄くなっている。

今まであったこととのリンクが全然なくて、
少し前のシーンとリンクしてるだけとか、
何にも関係なく進行してるとか、
そういう傾向にあることが多い。
(トップシーンをのぞく)

あの、過去のアレと関係しているということにしよう、
あるいは、
それを作るために過去のシーンにアレを埋め込んでおこう、
などと工夫していくと、
話は濃くなってくる。

ドロドロに濃いのは、いくつものリンクがあるときだ。
あれとあれとあれとあれが同時にこれに関係している、
なんてことを分かりながら見るのは、
なかなか乙なものである。


濃いストーリーを書こう。

(手塚治虫の後期(ブラックジャック以降)の長編は、
そういうのばかりだったような記憶があるが、
今確認のしようがないのでメモ程度に書いておく)

いま、その人物が言ったりしたりしていることは、
過去のいくつのこととリンクしてるのか?

常に何個もあるようにすれば、
あれとあれとあれかあ、
などと楽しみながら見ることができる。

ああ、ここであれと繋がるのか、
というのは、ストーリーを見るときの醍醐味である。

それが何分かに一回あれば、濃いだろうね。


濃密な時間を過ごすことこそが、
ストーリーの面白さだ。

うっすいペラペラなやつは、
ストーリー以前の日記だ。

何と何と何がどのように関係しているのか?
これだけを深く広く考えよう。
posted by おおおかとしひこ at 00:21| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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