の差はどこか。
濃い人間と薄い人間に集約される場合もあるけど、
ストーリーだけで純粋に考えると、
リンクの多さではないかと思う。
ストーリーを見る時、
「現在のシーンは、
Aが関係している」
などと観客は思いながら見ている。
極端な例を。
現在のシーンが彼女が怒っている場面で、
直前のシーンで浮気がバレたとしよう。
これは、
今彼女が機嫌が悪くて怒っているのではなく、
直前のシーンがAになり、
Aと関係しているから怒っているのだな、
などと理解しながら見ているわけだ。
これはまだ薄い。
濃くしてみよう。
付き合い初めの時に、
「私浮気だけは絶対ダメ。
前にひどい目にあってるから、
浮気しない人を選んだ」
というはるか前のシーンBがあったとしよう。
そうすると、現在のシーンは、
AとBと両方にリンクしているわけである。
さらに、彼女は飛行機が嫌いなシーンを見せていたとする。
これをCとしよう。
なんと浮気現場は飛行機の中のトイレであったとする。
そうすると現在のシーンは、
ABC三つのシーンとリンクしていることになる。
これが濃いストーリーである。
あるシーンについて関係するリンクが濃いのである。
どの現在のシーンでも複数のリンクを持って進行していると、
全体的に濃いストーリーであると感じるわけだ。
逆に薄いストーリーとは、
現在のシーンとのリンクがひとつとか0のストーリーのことをいう。
リンクは、たとえば伏線と解消の関係でもよい。
係りと結びみたいなものでもよい。
対句や倒置もあるだろう。
基本的には因果関係だ。
(最低でも、直前のシーンが関係しているだろう。
ブツ切れとは、それすらないことだけど)
ストーリーを書いていて、
なんか面白くないな、というときは、
大抵薄くなっている。
今まであったこととのリンクが全然なくて、
少し前のシーンとリンクしてるだけとか、
何にも関係なく進行してるとか、
そういう傾向にあることが多い。
(トップシーンをのぞく)
あの、過去のアレと関係しているということにしよう、
あるいは、
それを作るために過去のシーンにアレを埋め込んでおこう、
などと工夫していくと、
話は濃くなってくる。
ドロドロに濃いのは、いくつものリンクがあるときだ。
あれとあれとあれとあれが同時にこれに関係している、
なんてことを分かりながら見るのは、
なかなか乙なものである。
濃いストーリーを書こう。
(手塚治虫の後期(ブラックジャック以降)の長編は、
そういうのばかりだったような記憶があるが、
今確認のしようがないのでメモ程度に書いておく)
いま、その人物が言ったりしたりしていることは、
過去のいくつのこととリンクしてるのか?
常に何個もあるようにすれば、
あれとあれとあれかあ、
などと楽しみながら見ることができる。
ああ、ここであれと繋がるのか、
というのは、ストーリーを見るときの醍醐味である。
それが何分かに一回あれば、濃いだろうね。
濃密な時間を過ごすことこそが、
ストーリーの面白さだ。
うっすいペラペラなやつは、
ストーリー以前の日記だ。
何と何と何がどのように関係しているのか?
これだけを深く広く考えよう。
2020年08月24日
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