あなたには言いたいことや描きたいことが沢山あったとする。
それはランダムでややこしいことになっていて、
しかしある順番で並べると、すっきりと全体が分かりやすくなったとする。
あなたはゴールにたどり着いた、と思い、
書き始める。
それは間違いだ。
それはスタートに過ぎない。
なぜなら、
それはまだ「あなたの言いたいことがまとまった」
だけに過ぎないからだ。
「受け取る人の心を変えていく」ことを、
まだ何一つ出来ていないからである。
コミュニケーションでいえば、
一方的な押し付けにすぎず、
相手の顔を見ていないやり方だ。
対話はそうではない。
相手の感情を引き出し、心を動かす。
一体どんなものだろうと初手で興味をひき、
おやなんだか面白そうだぞと足を止めさせ、
どうせしょうもないんだろという疑いを、
何かしらの軽い出来で黙らせて、
どうやらこれは本格的に面白そうだぞと座り直させて、
次々に起こることで翻弄し、
いつの間にか感情移入どっぷりにさせ、
結末を予測させ、裏切り、
あることとその裏のことと両面から考え直させ、
いよいよ決着か、とドキドキさせて、
そうだと拳を握らせて、
よかったよかった、
いやあ見て満足したわーと、
思わせなくては、
ストーリーではない。
それは、あなたの言いたいことを順番に並べただけでは、
実現しないだろう。
言いたいことは押しで、
上に書いたものは引きだ。
引き込みから入って、押したり引いたりをしていくのである。
だから、
押しと引きは半々か?
そうではない。
ほとんどは面白い、引きのあるストーリーだろう。
あなたの押し付けなどなくてもいい。
精々、
低温でじっくり焼き上げ、焦げ目をブーストした熟成肉のストーリー
〜あなたの言いたいことを添えて〜
の分量だろう。
クレソンとかミントとか、その程度の分量だ。
ということで、
あなたの言いたいことを、
一次元の形で並べ終わったところで、
まだ何もはじまっていない。
そこで完成だと思うやつは、
まだ何も完成させたことがない童貞だ。
2020年08月28日
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