オリジナルを突き詰める上で、
覚悟しなければならないこと。
あなたはオリジナルを書く。
それは何かに似ていたらオリジナルではない。
誰かの作風に似ていても、オリジナルではない。
書いている途中自信をなくして、
誰かに読んでもらったりすることはよくある。
その人は的確な批評やアドバイスをすることもあるし、
全然トンチキなことをすることもある。
後者の方が多い。
多くは、
「自分の期待したものにならなかったので、
自分の期待したものに近づける批評やアドバイス」
になることが多い。
だから、ほとんどの他人の意見はトンチキだ。
ほんとうのところは、
「このようなことがしたいのだとしたら」と理解してくれて、
「ではこのような期待を持たせて、このように気持ちを誘導していくのが良いのではないか」
という批評が一番欲しいんだけど、
そんなものは一生に何回も無いと思う。
それくらい、他人の意見は他人の意見だ。
あなたしか分かり得ない、
あなただけのオリジナルを書くためには、
だから実質、他人の批評やアドバイスは無意味だ。
それは、
過去に似ている何かを引用でしかなく、
真のオリジナルに関しての批評やアドバイスをすることはないからだ。
つまり作家は孤独である。
それどころか、助けを求めたはずの他人に助けてもらえず、
余計迷路に放り込まれる羽目になる。
つまり、他人は完璧には、
あなたのやろうとしていることがわからない。
じゃああなたは、
誰にも理解できない、
あなたしか理解できない、
独善的な何かを完成させようとしているのか?
そうではない。
完成とは、
誰もまだやってなかったオリジナルなことを、
全員が容易に理解できるようにすることをいう。
相対性理論は素晴らしいが、
万人が理解できないので、
物語ではないのだ。
物語とは、
味わった人すべてが、すべてを理解できなければならない。
にも関わらず、
今まで誰もやってなかったことをしなければならないのだ。
だからあなたは孤独である。
誰にも相談できない。
なぜなら、あなたもまだ出していない答えを、
他人がわかるわけないからである。
あなたが出そうと思う答えを先回りして欲しい、
とあなたは苦しんで他人に相談するのだが、
そこに答えはない。
それでいて、
完成したら誰でも「そんな簡単で見事な手は考え付かなかった」
というコロンブスの卵にならなければならない。
あなたが何をやろうとしているのか、
あなた自身もわからないし、
はっきり分かっている訳ではない。
それがオリジナルである。
完成した時に、こういうことかとみんなが分かるだろう。
わかる日まで、書き続けることだ。
完成するまでは誰にも理解できないが、
完成したら誰もが理解できるもの。
それがオリジナルを作るということだ。
暗闇の中でやってきたことが、
あなたを光のなかへ連れてゆく。
アンダーアーマーの、僕の好きなコピー。
2020年08月29日
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