2020年08月28日

正義とは暴力である

人間の本質には暴力がある。


マウントも暴力衝動のひとつだ。
暴力とは物理接触と関係なく、
「気に入らないやつを思い通りにしたいこと」だ。

正義とは、理由を与えられた暴力にすぎない。
暴力衝動を、正義という言い訳で発露するのである。

刀で人を理由なく切ったら暴力だが、
理由があれば切る様を残酷に楽しみ、応援できるのである。
時代劇とはそうした暴力ショーである。

罪人を吊し上げるのは、正義でありかつ暴力である。
Twitterがそれを可視化しはじめた。

そして、正義とは相対的であるというのが21世紀の発見だ。
悪がいるのではなく、正義と正義、大義名分と大義名分が、
戦争をしあう。


ゆえに、人は、相対的に暴力を振るい合う。


これをまとめたのが神という秩序で、
宗教戦争が起こり、
神は死に、理性がこれに勝るとされた。
もう一周これをやるのかね?
二周目は違うエンドに行くのかね。


最近新作のヒーローものを書いた。

このことをずっと考えていて、
小さな村がたくさんあるような世界観になった。

人類は、小さな村までしか認識の範囲がないと思うんだな。



力無き正義は無力である。
正義なき力は暴力である。

力のある正義は、正義付きの暴力なんだよな。

正義や悪や暴力や力などについて、
人類は再び更新を求められているような気がする。

そして変わらないのは、
暴力は気持ちいいという内部の衝動だろう。
posted by おおおかとしひこ at 23:57| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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