2020年08月29日

自分の妄想を文字化したとき、何文字になるか?

ある程度書き慣れないと、これを予測することは難しい。


初心者のほとんどは、
自分の妄想がどれだけの文字数に匹敵するか分からない。

勢いに任せて書くことはとても良いことだ。

だがバーっと書いたものを実際に数えて、
全体を見積もると、
恐ろしく長いものになることが予測されて、
そのうちその衝動がどこかへ行ってしまうことが、
稀によく、いやものすごくよくあることだろう。

正解は、「その衝動と同レベルで最後まで書ききること」
なのだが、そんなに衝動をコントロールすることは、
初心者には大変難しいと思う。

実際、ここでひたすら書いていることは、
いかに最初から最後まで衝動を一定の小出しにしながら、
書き切るか、ということでもあると思う。

骨子としては、計画的な計算をしたうえで、
スケジュールを確保して、
毎日衝動書きをすることだ。
そしてその衝動という狂気を、理性でコントロールしながらやることだ。
創作とはコントロールされた狂気のことだからね。

つまり長編を書くプロは長く狂気をコントロールしているし、
短編を多作するプロは短い狂気の、全て色を変えながらコントロールしている。

ところが初心者は、狂気のコントロール的な持続や、
単発の狂気を色を変えて何度も出すことが出来ない。


出来ないなら、出来るように訓練するしかない。
そしてこれは、ある程度訓練することが出来る。


これを訓練するのに的確なのは、
短編を沢山書くことだ。

3分、5分、15分、30分、60分と、
色んなパターンの原稿を、
計画して、書き切る経験を沢山積む。
習作である。
とくに1分〜10分くらいのものは沢山書くと良い。
文字数と内容の関係について知りたければ、
1分を10本、2分を10本、…10分を10本と、
100本書いてみるといいだろう。

そうすると、
内なるマグマの量と、アウトプットの量の関係がわかるようになってくる。
「これだけの量を書くには、
これだけのマグマを自分の中に発生させて、
これだけの狂気をこれだけコントロールして書けば良い」
の感覚がわかってくる。

マグマが多ければある程度捨ててコンパクトにするべきだと、
自分でできるようになるし、
少なければ足さないといけないと分かるようになってくる。

それはとても主観的な経験で、
目安の客観量があるわけではない。

なので、自分で把握するしかないわけなのだ。


創作において、
過集中という現象がある。
朝からやって気づいたら夜、なんてことを経験したことはあるだろう。
僕は高校生の頃、トイレにも行かず、
13時間漫画を描き続けた経験がある。
若い時はそんなことが可能だ。

しかし過集中は身体に負荷をかけるわけで、
必ず沢山の休みが必要だ。
で、寝て起きたら、衝動のマグマはたいていどこかへ行ってしまっている。

だからプロとは、
これを維持持続し続ける人のことを言うわけだ。
過集中しすぎないこともコツだけど、
勝負どころではガッツリやるしね。



で、ようやく本題。

そんなコントロールが効かないころは、
「自分のこのマグマを文字化すると、
○○字くらいだな」と見積もる練習をしよう。

○○は正確でなくて良い。
有効数字一桁でいい。
400字、2000字(だいたいこのブログの一記事)、
6000字、1万字、5万字。

で、実際に書いてみて、その感覚が正確だったかを確認して、
感覚の補正をしていこう。

そうすると、
逆算で、「○○字を書くには、おおむねこの程度のマグマが必要である」
が予測できるようになるわけだ。

これは繰り返し繰り返しやって、
自分の中の感覚を発達させるしかない。


仕事というのはたいてい文字数が与えられる。

それに対して発生させるマグマが少なければ、
頓挫して困り、続きが書けないと逃げることになる。
多ければ、削ることに苦労することになるだろう。

ぴったりのマグマを発生させることはなかなか難しいが、
チョイ多目にして最後削るくらいが丁度良い。
(足りないのは地獄だから)

そんな風に、狂気を理性でコントロールしながら使っていくのを、
物書きというわけだ。


短く書くことが困難なのは、
まとまった狂気を凝縮して煮詰め、
本質だけを取り出した、
かつエッジの効いた表現にしないといけないからである。

長く書くことが困難なのは、
どこかで狂気が途切れ、
別の狂気が混ざってしまい、
ひとつの狂気に貫かれていないからである。

どちらも別のベクトルではあるが、
狂気をコントロールするという点では同じだ。


あなたの中の衝動は、創作の原動力だ。
大切に育てなさい。
しかしそれが大体何文字に該当するかは、
あなたしか測定できない。

ボケての名作に「起きた瞬間、感覚で遅刻を確信」
があるが、時間が感覚でわかるようになるべきだ。

物語とは、その、まとまった時間のことである。
posted by おおおかとしひこ at 09:07| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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