ある程度書き慣れないと、これを予測することは難しい。
初心者のほとんどは、
自分の妄想がどれだけの文字数に匹敵するか分からない。
勢いに任せて書くことはとても良いことだ。
だがバーっと書いたものを実際に数えて、
全体を見積もると、
恐ろしく長いものになることが予測されて、
そのうちその衝動がどこかへ行ってしまうことが、
稀によく、いやものすごくよくあることだろう。
正解は、「その衝動と同レベルで最後まで書ききること」
なのだが、そんなに衝動をコントロールすることは、
初心者には大変難しいと思う。
実際、ここでひたすら書いていることは、
いかに最初から最後まで衝動を一定の小出しにしながら、
書き切るか、ということでもあると思う。
骨子としては、計画的な計算をしたうえで、
スケジュールを確保して、
毎日衝動書きをすることだ。
そしてその衝動という狂気を、理性でコントロールしながらやることだ。
創作とはコントロールされた狂気のことだからね。
つまり長編を書くプロは長く狂気をコントロールしているし、
短編を多作するプロは短い狂気の、全て色を変えながらコントロールしている。
ところが初心者は、狂気のコントロール的な持続や、
単発の狂気を色を変えて何度も出すことが出来ない。
出来ないなら、出来るように訓練するしかない。
そしてこれは、ある程度訓練することが出来る。
これを訓練するのに的確なのは、
短編を沢山書くことだ。
3分、5分、15分、30分、60分と、
色んなパターンの原稿を、
計画して、書き切る経験を沢山積む。
習作である。
とくに1分〜10分くらいのものは沢山書くと良い。
文字数と内容の関係について知りたければ、
1分を10本、2分を10本、…10分を10本と、
100本書いてみるといいだろう。
そうすると、
内なるマグマの量と、アウトプットの量の関係がわかるようになってくる。
「これだけの量を書くには、
これだけのマグマを自分の中に発生させて、
これだけの狂気をこれだけコントロールして書けば良い」
の感覚がわかってくる。
マグマが多ければある程度捨ててコンパクトにするべきだと、
自分でできるようになるし、
少なければ足さないといけないと分かるようになってくる。
それはとても主観的な経験で、
目安の客観量があるわけではない。
なので、自分で把握するしかないわけなのだ。
創作において、
過集中という現象がある。
朝からやって気づいたら夜、なんてことを経験したことはあるだろう。
僕は高校生の頃、トイレにも行かず、
13時間漫画を描き続けた経験がある。
若い時はそんなことが可能だ。
しかし過集中は身体に負荷をかけるわけで、
必ず沢山の休みが必要だ。
で、寝て起きたら、衝動のマグマはたいていどこかへ行ってしまっている。
だからプロとは、
これを維持持続し続ける人のことを言うわけだ。
過集中しすぎないこともコツだけど、
勝負どころではガッツリやるしね。
で、ようやく本題。
そんなコントロールが効かないころは、
「自分のこのマグマを文字化すると、
○○字くらいだな」と見積もる練習をしよう。
○○は正確でなくて良い。
有効数字一桁でいい。
400字、2000字(だいたいこのブログの一記事)、
6000字、1万字、5万字。
で、実際に書いてみて、その感覚が正確だったかを確認して、
感覚の補正をしていこう。
そうすると、
逆算で、「○○字を書くには、おおむねこの程度のマグマが必要である」
が予測できるようになるわけだ。
これは繰り返し繰り返しやって、
自分の中の感覚を発達させるしかない。
仕事というのはたいてい文字数が与えられる。
それに対して発生させるマグマが少なければ、
頓挫して困り、続きが書けないと逃げることになる。
多ければ、削ることに苦労することになるだろう。
ぴったりのマグマを発生させることはなかなか難しいが、
チョイ多目にして最後削るくらいが丁度良い。
(足りないのは地獄だから)
そんな風に、狂気を理性でコントロールしながら使っていくのを、
物書きというわけだ。
短く書くことが困難なのは、
まとまった狂気を凝縮して煮詰め、
本質だけを取り出した、
かつエッジの効いた表現にしないといけないからである。
長く書くことが困難なのは、
どこかで狂気が途切れ、
別の狂気が混ざってしまい、
ひとつの狂気に貫かれていないからである。
どちらも別のベクトルではあるが、
狂気をコントロールするという点では同じだ。
あなたの中の衝動は、創作の原動力だ。
大切に育てなさい。
しかしそれが大体何文字に該当するかは、
あなたしか測定できない。
ボケての名作に「起きた瞬間、感覚で遅刻を確信」
があるが、時間が感覚でわかるようになるべきだ。
物語とは、その、まとまった時間のことである。
2020年08月29日
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