仮にプロット状態でも、
オリジナルな場面をつくったほうがいい。
それは、あなたのストーリーのアイデンティティーになる。
単純なプロットを想定する。
「憧れの先輩に話しかけて、
仲良くなるきっかけをつかむ」
だとしよう。
このままだと平凡なプロットだ。
たとえ実装の執筆がすごくおもしろかったとしても、
プロット段階ではその面白さは分らない。
あるいは、プロット段階ではこうしておいたとしても、
いざ場面に起こしていくとき、
あまりにも平凡なプロットのため、
書くことが困難になるだろう。
面白いストーリーというのは、
プロット段階ですでに面白くなくてはならない。
それは、プロットそのものが面白いということと、
それが強烈なオリジナリティ、アイデンティティーを持っていることの、
どちらかもしくは両方が必要だと思うのだ。
「憧れの先輩に話しかけて、
仲良くなるきっかけをつかむ」
だとしても、
憧れ方にオリジナルな場面があったり、
話しかけ方にオリジナルな場面があったり、
仲良くなるきっかけがオリジナルな場面があったり、
きっかけがオリジナルな場面があれば、
それは面白そうになるのである。
先日書いたプロットでは、
女子高生が憧れの先輩に話しかけるきっかけとして、
偶然コンビニで同じスイーツを買っていて、
偶然隣同士のレジになり、
話しかけるチャンスがやってくる、
という場面を描いた。
もちろんそれでするっとうまくいくはずはなく、
その時は勇気がなくて話かけられなかった。
だからもう一度そのチャンスの場面をつくるために奔走する、
という話に仕立てた。
こうなると、
「憧れの先輩に話しかけて、
仲良くなるきっかけをつかむ」
というだけの単純で平凡なプロットから、
オリジナリティの立った、
平凡でないストーリーが始まるわけだ。
同様に、
「悪を正義が倒す」という単純なプロットだとしても、
その悪の在り方、正義の在り方、
悪の現れ方、正義の現れ方、
どういう事件でどういう解決になるのか、
などに関して、
古今東西の、あらゆるストーリーが、
オリジナルの場面を創造しているわけである。
いつどうやって正義に目覚めるのか、
悪をどうしたら倒したことになるのか、
味方はどういうのがいるのか、
他に個人的などういうサブストーリーを抱えているのか、
正義の力は誰に授けられるのか、
それぞれの家族はストーリーにかかわってくるのか、
などなどなどに、
色々なオリジナルの場面があるだろう。
それが他にないことで、
それらはアイデンティティーを確立した、
「悪を正義が倒す」プロットになるはずだ。
まず、一行プロットを書く。
それだけで面白ければ、そのままでよい。
それだけでは平凡、よくあるものならば、
それを非凡にするとよい。
つまり、オリジナルな場面を作り出し、
それが作品のアイデンティティーになるようにすればよい。
最終的には、
オリジナルの場面をみな覚えていて、
プロットなんて覚えていない。
記憶には、場面が残るし、
それがイコンになる。
「主人公が恋に落ちる」
だけのプロットに、古今東西、
どれだけのバリエーションがあることか。
「主人公の恋が実る」に、
どれだけのバリエーションがあることか。
「主人公の夢がかなう」に、
どれだけのバリエーションがあることか。
「主人公が仕事を首になる」に、
どれだけのバリエーションがあることか。
「つらいことが、今報われる」に、
どれだけのバリエーションがあることか。
それらをオリジナルな場面にするだけで、
あなたのストーリーは他と違う何かになるだろう。
勿論、それは重要な場面ほど立ってくるよね。
2020年09月01日
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