道徳と商売。
現実のほんとうを描くのは誠実な道徳だが、
実際には辛い。
だからファンタジーを入れ込む。
みんなが好きだけど、現実にはレアなものが「よく見るもの」になる。
フィクションは、道徳と商売の合間にいる。
> よく女で「AV見て勘違いしたセックスする男がいる」って言うけど、少女漫画を見て勘違いした恋愛をしている女性が多く存在するのを忘れてはいけないよね。
https://mobile.twitter.com/uzuki_rin/status/1295038973417406464
少女漫画も商売のフィクションである。
地味で平凡な私を、
なぜかカースト上位のイケメンが一途に思ってくれている
(イケメンなのに他の女となぜかやりまくらない)、
というファンタジーである。
また厄介なのは、
少女漫画を描く人は恋愛の達人ではないところだ。
僕は殺人事件を描くのに人を殺す必要はないと思うが、
それにしても人の心理や闇に詳しくなるべきだと思う。
ベテランの酸いも甘いも吸い尽くした恋愛達者が、
わざとそういうファンタジーを描くならまだいいけど、
多くの作者はただ未経験の願望を描いているだけではないか?
AVの場合、80年代から90年代までは、
「映像で表現するにはこれしかないから」
とさまざまな行為を割り切って撮っていたが、
時代が下ると、
「AVで見たあの欲望的場面を撮って興奮したい」
という監督が出てくるので、
再生産され続けているきらいはある。
その中でも先進的な監督は、
「これはAVになり得るか?」という新しいスタイルを追求していて、
それこそがクリエイターだと僕は尊敬している。
(マンハッタン木村など)
一般に、
受けるファンタジーを提供するのを商売主義、
現実を踏まえた上で、
現実を更新しようとするのを芸術主義という。
僕はフィクションは、
芸術でもあり商売でもあると考えている。
ところが最近の邦画は商売主義だらけだ。
マーケティングのデータに合わせてつくるのは、
商売主義そのものである。
要するに市場に媚びている。
それは分かっているが、
リアルを更新するための方便なのだよ、
と分かっていればいいけれど、
これが受けるんだから余計な芸術は捨てて、
受ける要素盛り盛り100%にしてください、
が、ここ10年くらいの邦画の商売の仕方だったように思う。
(間違ったコンサルのマーケティング)
結果は焼け野原だ。
一瞬の媚びは一瞬の金を生むかも知れないが、
客はファンタジーを満たすものは、
とくに映画でなくてもいいと判断する。
映画に求めるものはファンタジー100%だけでない、
映画にしかない何か
(僕がここで脚本論として論じているもの)を求めていると思う。
商業主義に傾きすぎて、
芸術性を失ってしまったのが邦画だ。
一方、芸術主義に傾きすぎて、
商売主義を失ってしまったのが、
純文学や絵画かもしれない。
音楽は商売主義振り切り(AKBなど)と、
商売と芸術の両立(米津など)と、
かつて両立したオールドバンド(サザンやユーミンなど)と、
有象無象になっているイメージ。
で、フィクションの罪は、
受ける願望ばかり描いて、
道徳を教えなかったことだと思う。
「世界はこのように出来ていて、
このようにするとこうなるのだ」
を理解させることが、
道徳であると仮に定義するとしよう。
(善悪よりも広い概念とする)
それが不足した少女漫画やAVが横行した結果、
冒頭のツイートのような状態になるのだ。
「フィクションの真似をする?
あなたフィクションが現実でないことを知らないのかい?」
そう諭せる大人がいないことも問題かも知れない。
ドラマやCMに「子供が真似したらどうするんですか」
とクレームを入れる大人には、
「あなたのお子さんには、
フィクションは現実ではない、
と教える義務があります」と答えるべきなのに。
AVが18禁なのは、
「現実とファンタジーの区別がつく年齢」と定められているからである。
映画「ジュラシックパーク」は、R15指定だった。
その理由は、史上初CGで登場した恐竜を見て、
「恐竜が現実にいると勘違いする年齢は14以下」と判断されたからである。
(追記: PG親同伴だったかも。大人が諭せということ)
このような年齢保護のあるジャンルと違い、
無垢な少女に願望麻薬を勧める少女漫画は、
より凶悪だと考えるべきかも知れない。
僕は少女漫画に詳しくないため、
具体物をあげて議論できないのが残念だ。
同様に、少年漫画でも、
女子への恋の仕方を教えるべきだと思うが、
漫画を描こうとする陰キャは以下略。
僕は、作家というのは歪んでいると思う。
その歪みが普通じゃない何かを捻り出すから、
歪みは大歓迎だ。
歪みがなくなってしまったら、
ロボトミーを受けた人みたいに詰まらなくなるだろう。
だが一方で、フラットな目線を持ち、
世界はこのようにできている、という目線も持ちたいものだ。
そして、世界はこうもあれる、という希望へ更新したいものだ。
「冷静と情熱の間」という言葉はこういう時に使いやすい。
(小説のタイトルなんだが、本編の内容は一切知らない)
「ブラックジャックの医学知識が間違っている」と指摘された手塚治虫は、
「これは漫画ですよ?漫画に正確な医学知識を求めるほうが間違っている」
と断じたという。
これくらい、フィクションを切り離して冷静でありたい。
2020年09月06日
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