自分では面白いと思ってる話なんだけど、なぜか受けない。
あなたのセンスが絶望的にないかも知れない。
あるいは、
本当に面白い話かも知れないが、うまく伝わっていないだけかも知れない。
それは、昨日見た夢を説明することに似ている。
ものすごく怖い夢を見たとしよう。
それをすごく怖いんだと説明するとしよう。
その夢のディテールを詳細に、
まるでその場にあるかのように描写できれば、
他の人もあなたと同じように怖がるか?
僕は否だと考えている。
僕の怖がるものと、Aの人の怖がるものと、
Bの人の怖がるものは違うからである。
僕が今朝見た夢は、
元カノがうちの駅で待ってる夢だった。
これをいかに描写しても、
可愛い元彼女が駅で偶然を装って健気に待ってくれている、
という恋愛映画の一コマにしか見えないと思う。
僕は、その恋愛映画的な描写に恐怖を感じた。
なんでこの駅を知ってんねん、
という恐怖だった。
その人と付き合っていたときには住んでいない駅に今いるからだ。
つまり恐怖には理由がある。
客観描写だけではわからない、主観的な理由がだ。
それを伝えない限り共有できないのだ。
なぜ怖いのかわかれば、他人も怖いと思える。
「知らないはずの駅をどこかしらで突き止めて、
しかもしばらく張ってたんか。こわ」
と、伝わるようになるわけだ。
しかし、だとしても「可愛い子が待ってくれてるのは嬉しい」
となる男はたくさんいるはずで、
まだ怖さは伝わらないかも知れない。
この、「まだ怖さは伝わらないかも知れない」
という感覚が重要なのだ。
僕の感じた主観的な恐怖を、
他の人全員が感じられるようにすることが、
表現なのである。
「彼女は知らないはずのうちの駅で、
待ってたんすよ。怖くないですか?」
ではまだ半分だ。
僕が恐怖を覚えたのは、
「別れたのは15年くらい前なのに、
まだその時のままの姿だった」からかも知れない。
それ以来会っていないから外見が更新されてないのだろう。
つまり、記憶の亡霊のようなものが、
僕は怖かったのかも知れない。
だとすると、
この恐怖は、
「彼女は知らないはずのうちの駅で、
待ってたんすよ。怖くないですか?」
ではなく、
「なぜ記憶の亡霊が自分の都合の良い願望を見させるのか?」
という恐怖だと理解できる。
ここまで噛み砕けば、
理解できるようになる。
「あなたも過去の栄光の記憶があるでしょう。
それがもし15年も経ってるのに、
自分の願望をたとえ夢でも叶えようとする。
あなたそれ以来幸せじゃないんじゃないですか?」
と言われれば、得も知れぬ恐怖だと分かってくるだろう。
この時はじめて、
恐怖を理解したとなるからだ。
それは怖いかも知れない、自分のアレがそういう風に夢に出てきたら、
と自分に置き換えて想像をはじめるだろう。
ここが重要だ。
訳の分からない描写をされて、
面白いでしょう?怖いでしょう?
は、その人の主観の共有にすぎない。
そして主観は共有できない。
余程親しい人で大体どういうことかわかってればわかるが、
知らない人のそれを共有することは難しい。
だから、表現に変換するのである。
この場合、
「駅で待ってた元カノが怖い」ではなく、
「今おれは幸せだと感じていないことを、
過去の栄光を使って補完しようとしていることが怖い」
のようにだ。
すなわち。
表現とは、それそのものではない。
それのもたらす意味をどう伝えるかだ。
正確にいうと、
あるディテールAをもって、
意味Bを伝える事である。
この場合Aは「駅の元カノ」で、
Bは「過去の栄光での補完」である。
面白い話を思いついたんですよ、これ面白くないですか?
は、Aのみの場合がある。
そこにBが加わってくると、
「なるほどAは面白いね」になる。
つまり、あなたのBが伝わっていないのである。
Aを媒介mediaという。中間生成物の意味だ。
表現とは、具体的なAを介して抽象概念Bを伝えることを言う。
あなたの話が面白くないのは、
Aに終始して、
Bが伝わってないのかもしれない。
(あるいは、Bだけを並べて、具体的なAに落とし込んでないからかも知れない)
すごい面白い体験をした、
すごい面白い夢を見た、
他人がそう前置きする話に限ってちっとも面白くないのは、
彼または彼女が主観的にはわかっているがこちらには見えないBを語らず、
Aだけに終始しているからである。
なんでAでBだと思うのか、
そこがわかると、
説明や表現は、一気におもしろくなる。
2020年09月05日
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