2020年09月06日

ロジックの糸、人間関係の糸

ストーリーにあるのは、この二種類のリンクかもしれない。


ロジックというのは主に前に何かあったから、
次はこうだという関係性の糸だ。
殴ったから殴り返すとか、
前と同じことをこいつはするんじゃないかとか、
そういうことだ。
あるいは、これをするためにあれをするとか、
ロジックが絡んでいれば全部そうだとしようか。

ストーリーというのはこれを主に使って、
ある事件を解決に導くことをいう。

しかし、その前には、人間関係という別の種類の糸が絡んでくる。

正義だからといって、上司と部下の関係では進言できなかったりするわけだ。
逆に、ロジックではおかしいことも、
親しい仲ならば言えてしまったり押し付けたりもできるわけである。
人間関係はロジックと違い、
時間軸を持たない。
だから設定で設定可能である。
これが変化するのはロジックによってであり、
ロジックの糸が発生したということだ。
関係性が変化しないならば、それは人間関係の糸のままであるということが言えるだろう。

たとえば「どんなことがあっても親友」は、
ロジックと独立した、人間関係の糸だ。
それがある事件によって気まずくなった、
という関係の変化は、
ロジックによるものである。
だから、謝る、気まずくなった原因を探し、改める、
などの行動が起こり、ストーリーへなっていく。
それがロジック的な糸で、時間軸が存在する。
そして元に戻ったら、ロジックの糸はなくなり、
人間関係の糸へと戻るわけだ。

ロジックは因果と言い換えてもいいかもしれない。
ストーリーとは、
もともとある人間関係の糸のネットワークの中に、
事件によってロジックがうまれ、
人間関係の糸が、破綻したり継続したり新しく生まれたりしながら、
ついに解決することで、
フィックスした人間関係の糸に戻る、
までであると言い換えられるかもしれない。

こうしたことを考えると、
なぜ設定だけでストーリーが生まれないのか、
よくわかるかもしれない。
ある人間関係を設定しただけではストーリーではなく、
事件と解決の中で、人間関係以外のことが必要になっくるわけだ。
その中で人間関係の糸を利用したり、迷惑をこうむってもいい、ということなのだ。

設定だけ組んでもストーリーにはならない。
事件と解決のロジックを組んだだけでもストーリーにならない。
人は一人で生きていなくて、社会の中で生きていて、
ストーリーとは社会の中で起こるものだからだ。

ちなみに、
男性作家はロジック多め(=キャラ薄め)
女性作家は人間関係多め(=ストーリー薄め)
という好み上の特徴があるが、個人差もある。
どちらでも面白ければよい。

どちらの糸を重視しているのか。
足りない糸は何か。
それらを自覚するときに、使える分類方法。
posted by おおおかとしひこ at 08:55| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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