これは中島みゆきの「時代」の一節だけど、
何度も何度もお話を書いていると、
時々輪廻転生的な感覚に陥ることがある。
物語とは、
問題の発生から解決までを描く。
そこで登場人物たちは、
元には戻らない変化を経験する。
おわりまで書くとその登場人物とは二度と会えない。
しかも大抵は満足して終わるわけだから、
作者的には満足した死を迎えるようなものである。
つまり、
(習作も含めて)何本も何本も書くということは、
登場人物の誕生と死(満足した死)を、
何度も何度も経験していることになる。
こんなことをやっていると、
人生何周目かの気持ちにたまになる。
ある女子高生の話を書く時に、
なんだか初めてではない、
前にこんな人生を経験したような気がする、
みたいなデジャブに襲われたりもする。
輪廻転生的だ。
だいぶ前に書いた、似た人物の似た人生が、
今世に重なり合っているような感覚だ。
前の人生で失敗していたら、
今世では成功するように考えるだろう。
前の人生で成功していたら?
おそらく、それとは被らない別のパターンを考え始めると思う。
同じことをやって同じ成仏をしても面白くないからね。
それは主人公だけでなく、サブキャラもだ。
たとえば、
僕の書く話には、壬生的な人が出てきたりすることがある。
今度はお前騙されるなよ、なんてハラハラしてしまう。
陽炎的な人がいたら、その人となるべく遠くに離したりしてみるわけだ。
で、同じキャラを書いてもしょうがないので、
ちょっと違うキャラにアレンジしたりする。
その感じも、
全く同じ魂の生まれ変わりというよりは、
少し違った生まれ方をした○○、
みたいな感じになり、
今回の人生を楽しもうぜ、
なんて気分で書き始める気になったりすることがある。
長年書いていると、
持ちキャラというか、
ある傾向のキャラとか、
キャラ同士の組みとかの、
癖みたいなのが出てくるものだ。
毎回それを変えるようにはしても、
なんかこびりついた癖みたいなものが抜けなかったりする。
ああ、この魂には会ったことがある、みたいな。
そんなときは、
生まれ変わりみたいなもんだなあ、
と感慨深く思う。
僕らの人生は、どこかの作者が考えた、
前のキャラの生まれ変わりかもしれないね。
沢山書くということは、
こういうことだ。
使い回しをするのではない。
毎回生まれ変わって歩き出すのだ。
今世では出会わないパターンもあるし、
また出会うパターンもあるだろう。
壬生はいるけど陽炎はいない、などの今世もあるだろうし。
「ブラックジャック」のオールスターシステムは、
その生まれ変わりの集大成だった。
編集者が低迷していた手塚の死に水がわりに連載させたのだ。
ところがそれがうまく当たった。
かつての強い魂同士のぶつかり合いがあることで、
物語の強度が上がったのかもしれない。
沢山書けば書くほど、
こうした現象に出会いやすくなる。
2020年09月07日
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