2020年09月07日

生まれ変わって巡り合うよ

これは中島みゆきの「時代」の一節だけど、
何度も何度もお話を書いていると、
時々輪廻転生的な感覚に陥ることがある。


物語とは、
問題の発生から解決までを描く。
そこで登場人物たちは、
元には戻らない変化を経験する。

おわりまで書くとその登場人物とは二度と会えない。
しかも大抵は満足して終わるわけだから、
作者的には満足した死を迎えるようなものである。

つまり、
(習作も含めて)何本も何本も書くということは、
登場人物の誕生と死(満足した死)を、
何度も何度も経験していることになる。

こんなことをやっていると、
人生何周目かの気持ちにたまになる。

ある女子高生の話を書く時に、
なんだか初めてではない、
前にこんな人生を経験したような気がする、
みたいなデジャブに襲われたりもする。

輪廻転生的だ。


だいぶ前に書いた、似た人物の似た人生が、
今世に重なり合っているような感覚だ。

前の人生で失敗していたら、
今世では成功するように考えるだろう。

前の人生で成功していたら?
おそらく、それとは被らない別のパターンを考え始めると思う。

同じことをやって同じ成仏をしても面白くないからね。


それは主人公だけでなく、サブキャラもだ。

たとえば、
僕の書く話には、壬生的な人が出てきたりすることがある。
今度はお前騙されるなよ、なんてハラハラしてしまう。

陽炎的な人がいたら、その人となるべく遠くに離したりしてみるわけだ。


で、同じキャラを書いてもしょうがないので、
ちょっと違うキャラにアレンジしたりする。
その感じも、
全く同じ魂の生まれ変わりというよりは、
少し違った生まれ方をした○○、
みたいな感じになり、
今回の人生を楽しもうぜ、
なんて気分で書き始める気になったりすることがある。

長年書いていると、
持ちキャラというか、
ある傾向のキャラとか、
キャラ同士の組みとかの、
癖みたいなのが出てくるものだ。

毎回それを変えるようにはしても、
なんかこびりついた癖みたいなものが抜けなかったりする。

ああ、この魂には会ったことがある、みたいな。

そんなときは、
生まれ変わりみたいなもんだなあ、
と感慨深く思う。


僕らの人生は、どこかの作者が考えた、
前のキャラの生まれ変わりかもしれないね。


沢山書くということは、
こういうことだ。

使い回しをするのではない。
毎回生まれ変わって歩き出すのだ。

今世では出会わないパターンもあるし、
また出会うパターンもあるだろう。
壬生はいるけど陽炎はいない、などの今世もあるだろうし。


「ブラックジャック」のオールスターシステムは、
その生まれ変わりの集大成だった。
編集者が低迷していた手塚の死に水がわりに連載させたのだ。
ところがそれがうまく当たった。
かつての強い魂同士のぶつかり合いがあることで、
物語の強度が上がったのかもしれない。

沢山書けば書くほど、
こうした現象に出会いやすくなる。
posted by おおおかとしひこ at 00:05| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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