2020年09月08日

まるでそれが本当に起こったかのように書く

それは想像力によるしかない。

経験や取材は後押ししてくれるが、
だからリアルなのが書けるかというとまた別の話だ。


リアルを体験したこともないし、
かつ出来上がったものが嘘くさいのは論外だ。
せめて取材しろこの野郎、と言われて終わりだろう。

だからといって取材すれば書けるのか、
というと必ずしもそうではない。

取材したって下手なやつは下手なままである。
むしろ膨大な情報量に振り回されて、
焦点の定まらない消化不良を起こすこともある。
取材したのでかえって失敗する例だ。

だから、
取材や体験は、やっておくに越したことはない、
くらいのレベルだと思う。

ありありとそこにあるのが想像できるならば、
取材はむしろ冷や水で、最悪妨げになるかもしれない。
逆に全く想像できないなら取材したほうがいい。

ありありとそこに想像できるが、
ほんとのところを知らないので取材して、
リアルを超える、その作品にしかない新しいリアルを作れれば、
それが最高である。

むしろ、創作とはそのためにあるのであり、
リアルの後追い再現のためにあるのではない。



写真が出てきたときの絵のことを考えよう。

まるで写真のように描く絵は廃れた。
そうではなくて、
そこにはない新しいものであるとか、
既存のものなんだけど写真には撮れない空気感であるとか、
リアルにないものを、
絵には求められるようになったと思う。

写真があるのに、
写真から絵を起こす意味はない。

リアル世界があるのに、
リアル世界を転写する物語に意味はない。

そこにそれが本当に起こっているように見えればそれで良く、
リアルにそれを体験した人にとっても、
リアル以上の何かを体験させられるのが、
すぐれた創作である。


よく、人殺しをしないと殺人を書けないわけではない、
などという。

しかし殺人に至る心理や、
殺人の手口や、
終わった後の逃走や、
捕まったときの感覚なんかは、
取材をしなくても書ける。
そして、それは取材のリアル以上にリアルでならなければ、
書く意味などないのだ。


本当に起こったことを書くのは創作ではない。
本当には起こってないことを、
まるで本当に起こったように書くのが、
創作である。

よく取材し、よく想像して、
取材のリアルを飛び越えることだ。

取材は、ジャンプのための足場であり、
落ちそうになって掴む崖ではない。
posted by おおおかとしひこ at 00:14| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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