2020年09月04日

【薙刀式】打鍵コストの感覚

「それもありだよね。」の、新下駄と薙刀式の打鍵コストを考えた続き。


()を同時打鍵、【】をセンター連続シフトとして薙刀式と比較。

それもありだよね。 
新下駄 (S;)(DK)(FK)(DJ)(FL)(SM)(DI)(DM).
薙刀式 B/【K】J【E】(FN)【I,M】


僕の主観からは、
新下駄の方が薙刀式の3倍はコストがかかるように見えている。

新下駄派の人たちはそんなバカなと思うだろうし、
僕もそんなはずはないと客観的には思う。

評価式をどう立てるかにもよるけど、
どんなに酷いモデルを作っても3倍も差は出ない。
速度的にも差はそれほどないと思う。
(得意不得意でどちらかが上回る、という程度のものだろう)

しかし主観的には3倍くらい新下駄が大変に「感じる」のだ。

この歪みの感覚を掘っていくことで、
逆に僕の指の感覚が明らかになると思ったので、
深掘りしてみる。

この感覚の個人的な差異こそ、
「最適な配列が唯一存在する」
ことの否定であり、
配列のおもしろいところであり、
また難しいところだと思うからだ。


おそらく僕の感覚は、以下のようなのだ。

・左右の手の同期は避けたい
・親指によるSandSのシフトはコストを低く感じる
・特別な音は特別な手順でも良い(書き文字の感覚)

そんなん好みやん、というツッコミがありそうだ。
しかし僕は、「好み」を具体的に言葉にしようとしている。
「好み」で思考停止するのはもったいなくて、
どんな好みが世の中にあるのかを明らかにしたい。
配列を読み込むときのボキャブラリーになると思う。

以下詳細。



・左右の手の同期は避けたい

僕は左右の同期が苦手だ。
きっとピアノも弾けないだろう。
低音と高音で違う指で違う動きをして、
しかも同期させるなんて考えられない。

新下駄はピアノほどは難しくないのは明らかだけど、
僕にとって左右同期8連続は青天井に難しい。
(音ゲーも苦手。タイパーは音ゲーと親和性が高いらしいが、
僕はだから両方無理なのだろう)

そもそも僕は本音は右手一本で字を書きたい。
左手は一生使いたくないのだが仕方なく使っている。
実生活で左手を使うチャンスはほとんどない。
しかも同期するなんて二重苦だ。

おそらくこの辺が、新下駄と徹底的に合わないところなんだと思う。
いつか右手だけのカナ配列を作りたいと思ってるくらいなので。

薙刀式でも色々同時押しあるやん、
と突っ込めるが、あとで議論するとしよう。


・親指によるSandSのシフトはコストを低く感じる

左右の手の同期のコストは僕にはとても高く感じる一方、
親指によるシフトはとても低く感じるようだ。
だから飛鳥を最初に触った。(指の感覚が合わず挫折)

しかも同時打鍵はコスト高めで、
親指の通常シフトは僕はコストをほとんど感じないようだ。

配列を考えるときに最初に試したのが、
SandSと無変換Ctrlだったので、
そのときの強烈な印象があるのかもしれない。
最初に見たやつを親と思う感じなのかも。

なぜだろう。通常シフトはコストが安く感じる。
親指による操作も安く感じる。
なので通常連続シフトのSandSをシフトに使う薙刀式は、
僕にとって主観的に激安なのだ。

もっとも、通常のキーボードの親指キーだとすぐ痛くなるので、
散々キーキャップを3Dプリントで作ってきたから、
それありきになっている感はなくもない。
しかし通常のキーボードでも、左右同時の半分くらいにコストを感じる。

左右同時が得意な人から見たら異様な感覚かもだ。


・特別な音は特別な手順でも良い(書き文字の感覚)

そんな僕にとって薙刀式の左右同期はむしろ気持ち良い。
薙刀式の左右同時は、
濁音、半濁音、小書き、拗音、外来音と、
静音以外の音を出すときに使われる。
「音」とは表記するものの、
脳内発声のない僕にとって、
カナは書くものという意識が強い。

なので、濁点、半濁点、小さく書く、などのような、
「清音に対する特別操作」に思える。
これは手書きと同じ一手間に僕からは見えている。

もっとも、濁点後置などの2打でもいい説はある。
しかし月Uから下駄が出来たときのように、
「2打で打つくらいなら同時打鍵すればいいじゃない」
の感覚が僕は好きなようだ。

大阪人はイラチなので、いっぺんにやってしまおうや、
という感覚があるのかもだ。

だから、
「清音に対する特別な操作という書き文字的な感覚」
の時だけは、左右同期のコストを払ってでも、
ずばっと打てる感覚を、
僕は好むのだと思う。

また、清濁別置の感覚がやはり慣れなくて、
清音なのに同時あり、濁音なのに単打、
みたいに出し方とカナの性質が異なるのが、
どうしても僕は馴染めない。
音ではなく、書き文字で考えているからかもしれない。



多分、こうは思わない人、
これとは逆の手の感覚の人は、
新下駄が合うのではないだろうか。すなわち、

・左右の手の同時打鍵は面白いし簡単
・親指のシフトは面倒、ないしキーボードの影響を受けたくない
・どんな文字でも打ち方は統一されてなくてバラバラでも可

のような人だ。

新下駄の左右の同時打鍵の特徴は、
各指がアルペジオになるように運指が計算されているところで、
それが凄いと思うんだけど、
僕はその前に力尽きてしまう。



僕ほどタイピングが下手な癖に、
どうにかしてやろうとしている人はそんなにいないかも知れない。
僕は10万字の原稿を書くのに、
現在のキーボード方式では苦痛でしょうがないだけであり、
タイピングが人より得意だからタイピングを続けているのではない。

だから僕のやっていることは、
「タイピングしたくない人が大量にタイピングする為の方法論」
だと思っている。

薙刀式はその特異な立場から生まれた、
現実への妥協案なのだろう。


僕は中学の頃からPC8001などを触ってきて、
BASICやマシン語でゲームも作ったし、
学部では人工知能やってたし、
仕事ではAdobeマスターだけど、
PCは嫌いだ。

出来れば水彩画を描いたり、粘土をこねたり、
紙にインクで書きたい。
そんな感覚で、
僕は薙刀式を使っている。

新下駄使いとは、認識のあり方がずいぶん違うと想像する。
posted by おおおかとしひこ at 23:40| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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