ものを書く時に、何か言いたいことが核にあり、
それを軸に発展させて、そして出来上がる、
と考えているならば、
書き続けていくことは出来ないと思う。
じゃあブログを毎日書き続けてみるとよい。
一ヶ月続けばたいしたものだ。
一週間が関の山ではないか。
毎日数千字を書くということは、
最初の数日は出来ても、
すぐに燃料がなくなるものだ。
つまり、「書きたいこと」「言いたいこと」なんて、
意識の上澄みでしかないのだ。
書いたら溜めて、書いたらまた溜めて、
なんてのは自転車操業に過ぎず、
書くこととは違う。
じゃあどうするのかというと、
ジャンクを沢山つくるのだ。
マッドサイエンティストの研究室をイメージしよう。
作りかけのものや、ガラクタのようなものが、
たくさん転がっていると思う。
昔やりかけたが放り出したもの、
行けるかと思ったが行けなかったもの、
なにに使うかわからないがとりあえず保存したもの。
そうしたものをたくさん集めておくことだ。
それが直接役に立つことは稀だが、
それらの周辺のことが、
急にモリモリと形になることは、
稀によくあるのである。
ぼくらの場合は、アイデアノートがそれだろうか。
何冊あってもいいし、デジタルでやっても構わない。
デジタルは写真や動画が貼り付けられるので便利だね。
だけど本当に役に立つのはアナログのメモだ。
なぜなら、
ガラクタそのものが役に立つわけではなくて、
その周辺の何かが利用できるからだ。
デジタルは鮮明過ぎて、それそのものしか存在しない。
アイデアとはもっと曖昧な形からでないと立ち上がらない。
なので、手書きくらいの、どうとでも取れるようなものからのスタートが、
一番伸びる。
それらを育てよう。
それもアイデアノートに書き、
成長しなかったらガラクタの山に追加だ。
これらをやっているうちに、
ふとひと繋がりのものになる。
面白いアイデア、面白いストーリーになってゆく。
竜巻ができる瞬間みたいなものだ。
リーチ目を沢山置いとくと、
ある日ふっと竜巻になる感じ。
あとは、それ自体が吸引力になり、
どんどん自発的に形になってゆく。
このとき、あなたの言いたいこととは、
関係なく形が整っていくことに気づこう。
で。
もともとあなたにも言いたいことのひとつやふたつあるだろう。
今竜巻として出来つつあるそれと、
言いたいことは関係しているか?
してないのならここから先はまたぽしゃるかもしれない。
あなたの言いたいことのうち、
ごく一部の○○となら、関係をつけられて、
竜巻を育てられる、と見出すことができるかもしれない。
その時、おそらくその先をつくることになる。
あなたの言いたいことありきでは、
アイデアの竜巻など発生しない。
アイデアの竜巻だけでは、粘着力がなくすぐに萎む。
竜巻と、言いたいことの一部の関係性ができた時、
おそらくそれは持続する竜巻になる。
あるいは、言葉にしなくてもよい。
書き終えた時にはじめて、「自分の言いたいことはこれだったのか」
とわかることすらある。
その時は、その言いたかったことを軸に、
リライトし直すのがスッキリしたものになるだろう。
言いたいことが必ずあるべきではない。
感覚先行で構わない。
しかし自己組織化して、まとまりを作り始めた時、
これをまとめるコンセプトはなんだろうと、
立ち止まって考えることは必要だ。
それが決まったら、
「だとするとこれは必要」「これはいらない」と、
さらにディテールを詰めていけるからである。
最終的に出来上がったものは、
アイデアや言いたいことのバランスが丁度いいのだが、
最初からそうであったわけではない。
それは他人の製作過程を1から10まで見ないと分からないかもしれないが。
「言いたいこと」を探すのは、
そもそもおかしい。
テーマを探してからストーリーを書くのは、
作り方が間違っているとすら思う。
それよりも面白そうなアイデアをたくさん集めておくんだ。
そのガラクタから、
そのうち渦ができる。
テーマがあれば、その渦は完走できる、
というだけのことだと思う。
2020年09月12日
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