表現とは何か、もう少し考える。
楽天モバイルCMを少しだけ擁護すると、
TVやCMにどんどん表現規制がかかっていて、
あとは叫ぶくらいしか企画がない、ということだったのかもしれない。
逃走犯がシートベルトをしてないと放送できないらしい。
不良だという表現で喫煙シーンはできないらしい。
(そもそも喫煙シーンは放送できない。
これが昭和の再放送を阻む原因だ)
酒を飲むシーンは8時以降でないとダメらしい。
人は殺せない、人は傷つけられない、
辛いシーンは「それを思い出す人が不快に思う」からダメ。
最近ビールCMの「ゴクリ」が禁止になった。
放送禁止用語は日々増えていく。
(ちなみに公権力による禁止ではない。放送局基準の自粛である)
忖度が増え、あれもやらないこれもやらないになった。
炎上リスクを避けることだけが目的になった。
じゃあ何をすれば表現になるんだ?
表現とは、マイナスからプラスへの跳躍をいう。
だから希望があり、人はポジティブになる。
マイナスがないプラスは跳躍ではない。
プラスからプラスに行ったら、
勝ち組の戯言だ。
表現は必ず誰かを傷つけるナイフだ。
ただ、沢山の人を救う。
救うという美味しいことだけに目を向けて、
傷つける責任を取れないならば、
表現をする資格などない。
日本企業は萎縮して、
責任を負うどころか、逃亡するようになった。
言い訳ばかり事前にして、
なるべく炎上しないような生き方を選んだ。
それは表現ではない。
誰かを救うのが表現だ。
誰かを救うことは、救わなかった人がいるということだ。
表現者たる者、その覚悟で表現をするべきだ。
楽天モバイルは何を表現したかったのか?
自社アピール100でしかなく、
それ以外に何を表現したかったのかが問題だというのに。
2020年09月08日
この記事へのコメント
コメントを書く