2020年09月09日

【薙刀式】新配列へ変えたことによる最大のメリット

疲労軽減、字数増加、速度向上などは部分的なメリットだ。

僕にとって最大に良かったことは、
「筆が走る」のがキーボードでもできるようになったことだ。


物書きならわかると思うけど、
調子良く書けているとき、
「筆が走る」と思う瞬間がある。

まるで何かに取り憑かれたようにバンバン筆が進み、
バターに入る熱いナイフのようにするりと、
全能感あふれるように言葉を切り出せる瞬間だ。

この瞬間は5分の時もあれば、
15分の時もあれば、90分の時もある。
経験上2時間は続かないと思う。

物書きの日常とは、
一日のうちいつ訪れるか分からない、
この天使の時間を原稿に費やせるかどうか、
そのスケジュール調整にあると思う。
(もちろん、筆が乗らない日もある。
必ずこれが訪れるとは限らない。
神託のようなものだ)

勿論それが来ないときは、
これまで培ってきた技術で、
どうにか間を持たせて書いてゆくしかない。

僕は何十年も手書きでやってきた。
それは手書きだと、5分も書けば、
ほぼ必ずトランス状態が訪れるからである。
実際の執筆時間が15分で終わったとしても、
必ず僕は筆を走らせることのできる自信がある。

プロサッカー選手が、いつでもドリブルでゾーンに入れるよ、
みたいな感覚と一緒だと思う。

逆にそれがなければ、
物書きは全然楽しくない。

僕は嫌々物を書いているのではなく、
快楽で書いている部分がある。

(それは全ての仕事で同じだろう。
快楽のない仕事は辛いだけだし、
快楽が出ない仕事は向いてない)

長年の相棒の青ペンを使えば、
合法ドラッグと同じである。
脳からはアルファ波が出て、
思考は海のように静かになり、
いずれ嵐が訪れる。

それがあるから、物書きはたのしい。


この感覚は、
キーボードとqwertyローマ字ではついぞ得られなかった。

900字(変換後)/10分の速度の手書きにくらべて、
僕のqwertyローマ字の530では太刀打ち出来なかったからだし、
メンブレンやパンタグラフのような汎用キーボードでは、
書く快楽など0であった。

僕は、これを手書きのようにする方法はないのか?
と思った。
最初にサイトメソッドからブラインドタッチに矯正したが、
指は苦痛を訴えるだけで何も良くなかった。
(しかもqwertyは標準運指を守らないのがいいんだって?)

hhkbやNiZは革命的快楽を与えたが、
筆記用具として使えるレベルには足りないと思った。
自作に手を出し、最近ようやく自分の手になじんだものになってきた。

qwertyローマ字の非効率は配置なのだと思い、
カタナ式を作ったが、
脳内発声がローマ字ではあり、
カナ配列ではないことを発見して、
脳内発声がない僕は、カナ配列薙刀式をつくった。

ここまで三年半。


ここまできて、やっとデジタルでも「筆が走る」
現象が起こりつつある。

手書きで脳内麻薬が出る感じに、
ようやく、
薙刀式×MiniAxe×3Dキーキャップ×ふかふか銀軸
のセットで行けるようになってきた。

これがエンドゲームかは分からない。
また不満や欠点が出てくることもあるだろう。

だけど、
もう僕はこれを手放さないと思う。

どんな高級なキーボード×qwertyだとしても、
僕はいつでも手放すと思う。
どうやっても僕はこれでは筆が走らない。

手書き+清書か、フリックでやると思う。
qwertyでは絶対筆が走らないが、
フリックならまだ走る瞬間があるからだ。

qwertyは方便に過ぎず、方便だから別の何かに代替される。
いつでも捨てるべきメソッドだと僕は思う。


もちろん、qwertyが合い、左ロウスタッガードが、
最もベストだという人もいないことはないだろう。
でもそういう人は、
自然で合理的な道具で筆が走る感覚を、
一生知らないで死ぬかもしれない。
矯正ギプスをつけて走っているようなものだから。


薙刀式の最近の動画では、
大体1200〜1300のペースで打っている。
qwertyローマ字でこのペースにするには、
さらに30%増しで打たないといけない。
(薙刀式の打鍵効率1.3、ローマ字の打鍵効率1.7、1.7/1.3=1.3)

その速度をキープし続け、しかも指が疲れないのは、
普通の人には出来ない、才能が必要なことだと思う。



ことわっておくが、
僕はタイピングが上手い部類ではない。
運動は下手だし、左右の連動も出来ない。
絵は描くから、右手だけ器用で偏っている。
それでも薙刀式を2年もやれば、
1200以上の巡航速度を手に入れられる。

親指シフトはそこまで行かないだろうと、
多くの人の挫折報告から推測する。
(一年経ってもたいして成長していない人をよくみるし、
いまだに1200以上の実戦動画が出てこないのが状況証拠だ)


新配列の二代横綱は新下駄と飛鳥だと思うが、
最初からそこそこqwertyに自信があってそれを超えるためにやる人が多くて、
僕みたいにqwertyの山を登らない人がやっているのはほぼ見ない。

習得後にバリバリ書いてる人が観察されないので、
その後どうなったかは不明なのが残念だ。
(元気でやってると信じたいが)


僕のこのブログの更新頻度や文字数は、
ある種の異常だと思うが、
それは薙刀式による快楽があるからで、
苦痛でやっているわけではないのだ。
触れば触るほど色んなことを考え、
また実践していく、ポジティブなループがずっと回っている。

薙刀式がなければ書けなかった小説も、
単行本三冊ぶん書いた。
薙刀式の快楽がなければ、
筆が走らず完走し得なかったと思う。
(初稿は手書きだけど、10回くらいやるリライトはタイピングでやるので)



なんのために新配列へコンバートするのか?

効率でもよい。疲労軽減でもよい。
不合理な物を使い続ける気持ち悪さの解消でもいい。
だけど、一般的に言われるその理由群には、
「筆が走る」という一番大事なことが、
抜けているように思う。

タイピングで筆が走らないが、
手書きなら筆が走る感覚がある人は、
薙刀式といいキーボードで、
デジタルでも筆が走る体験をして欲しいと思う。
posted by おおおかとしひこ at 14:31| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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