疲労軽減、字数増加、速度向上などは部分的なメリットだ。
僕にとって最大に良かったことは、
「筆が走る」のがキーボードでもできるようになったことだ。
物書きならわかると思うけど、
調子良く書けているとき、
「筆が走る」と思う瞬間がある。
まるで何かに取り憑かれたようにバンバン筆が進み、
バターに入る熱いナイフのようにするりと、
全能感あふれるように言葉を切り出せる瞬間だ。
この瞬間は5分の時もあれば、
15分の時もあれば、90分の時もある。
経験上2時間は続かないと思う。
物書きの日常とは、
一日のうちいつ訪れるか分からない、
この天使の時間を原稿に費やせるかどうか、
そのスケジュール調整にあると思う。
(もちろん、筆が乗らない日もある。
必ずこれが訪れるとは限らない。
神託のようなものだ)
勿論それが来ないときは、
これまで培ってきた技術で、
どうにか間を持たせて書いてゆくしかない。
僕は何十年も手書きでやってきた。
それは手書きだと、5分も書けば、
ほぼ必ずトランス状態が訪れるからである。
実際の執筆時間が15分で終わったとしても、
必ず僕は筆を走らせることのできる自信がある。
プロサッカー選手が、いつでもドリブルでゾーンに入れるよ、
みたいな感覚と一緒だと思う。
逆にそれがなければ、
物書きは全然楽しくない。
僕は嫌々物を書いているのではなく、
快楽で書いている部分がある。
(それは全ての仕事で同じだろう。
快楽のない仕事は辛いだけだし、
快楽が出ない仕事は向いてない)
長年の相棒の青ペンを使えば、
合法ドラッグと同じである。
脳からはアルファ波が出て、
思考は海のように静かになり、
いずれ嵐が訪れる。
それがあるから、物書きはたのしい。
この感覚は、
キーボードとqwertyローマ字ではついぞ得られなかった。
900字(変換後)/10分の速度の手書きにくらべて、
僕のqwertyローマ字の530では太刀打ち出来なかったからだし、
メンブレンやパンタグラフのような汎用キーボードでは、
書く快楽など0であった。
僕は、これを手書きのようにする方法はないのか?
と思った。
最初にサイトメソッドからブラインドタッチに矯正したが、
指は苦痛を訴えるだけで何も良くなかった。
(しかもqwertyは標準運指を守らないのがいいんだって?)
hhkbやNiZは革命的快楽を与えたが、
筆記用具として使えるレベルには足りないと思った。
自作に手を出し、最近ようやく自分の手になじんだものになってきた。
qwertyローマ字の非効率は配置なのだと思い、
カタナ式を作ったが、
脳内発声がローマ字ではあり、
カナ配列ではないことを発見して、
脳内発声がない僕は、カナ配列薙刀式をつくった。
ここまで三年半。
ここまできて、やっとデジタルでも「筆が走る」
現象が起こりつつある。
手書きで脳内麻薬が出る感じに、
ようやく、
薙刀式×MiniAxe×3Dキーキャップ×ふかふか銀軸
のセットで行けるようになってきた。
これがエンドゲームかは分からない。
また不満や欠点が出てくることもあるだろう。
だけど、
もう僕はこれを手放さないと思う。
どんな高級なキーボード×qwertyだとしても、
僕はいつでも手放すと思う。
どうやっても僕はこれでは筆が走らない。
手書き+清書か、フリックでやると思う。
qwertyでは絶対筆が走らないが、
フリックならまだ走る瞬間があるからだ。
qwertyは方便に過ぎず、方便だから別の何かに代替される。
いつでも捨てるべきメソッドだと僕は思う。
もちろん、qwertyが合い、左ロウスタッガードが、
最もベストだという人もいないことはないだろう。
でもそういう人は、
自然で合理的な道具で筆が走る感覚を、
一生知らないで死ぬかもしれない。
矯正ギプスをつけて走っているようなものだから。
薙刀式の最近の動画では、
大体1200〜1300のペースで打っている。
qwertyローマ字でこのペースにするには、
さらに30%増しで打たないといけない。
(薙刀式の打鍵効率1.3、ローマ字の打鍵効率1.7、1.7/1.3=1.3)
その速度をキープし続け、しかも指が疲れないのは、
普通の人には出来ない、才能が必要なことだと思う。
ことわっておくが、
僕はタイピングが上手い部類ではない。
運動は下手だし、左右の連動も出来ない。
絵は描くから、右手だけ器用で偏っている。
それでも薙刀式を2年もやれば、
1200以上の巡航速度を手に入れられる。
親指シフトはそこまで行かないだろうと、
多くの人の挫折報告から推測する。
(一年経ってもたいして成長していない人をよくみるし、
いまだに1200以上の実戦動画が出てこないのが状況証拠だ)
新配列の二代横綱は新下駄と飛鳥だと思うが、
最初からそこそこqwertyに自信があってそれを超えるためにやる人が多くて、
僕みたいにqwertyの山を登らない人がやっているのはほぼ見ない。
習得後にバリバリ書いてる人が観察されないので、
その後どうなったかは不明なのが残念だ。
(元気でやってると信じたいが)
僕のこのブログの更新頻度や文字数は、
ある種の異常だと思うが、
それは薙刀式による快楽があるからで、
苦痛でやっているわけではないのだ。
触れば触るほど色んなことを考え、
また実践していく、ポジティブなループがずっと回っている。
薙刀式がなければ書けなかった小説も、
単行本三冊ぶん書いた。
薙刀式の快楽がなければ、
筆が走らず完走し得なかったと思う。
(初稿は手書きだけど、10回くらいやるリライトはタイピングでやるので)
なんのために新配列へコンバートするのか?
効率でもよい。疲労軽減でもよい。
不合理な物を使い続ける気持ち悪さの解消でもいい。
だけど、一般的に言われるその理由群には、
「筆が走る」という一番大事なことが、
抜けているように思う。
タイピングで筆が走らないが、
手書きなら筆が走る感覚がある人は、
薙刀式といいキーボードで、
デジタルでも筆が走る体験をして欲しいと思う。
2020年09月09日
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