これはストーリーとはなにか、
面白いストーリーとはどんなものか、
を把握する、もっとも手っ取り早い手かもしれない。
「面白い話を思いついたんだ。
今からざっくり喋るから聞いてくれ」
「どんな話だ?」
「舞台は現代、白い砂に青い海、しかし暑さによってそんな光景すら恨みに思う頃…」
「前置きはいい。さっさと話せ」
「主人公のイメージはアイドルで言うと○○で、
どっちかというと○○な感じで…」
「それもこっちでイメージする。
なにが起こる?」
「そう、国会議事堂が爆発するんだ」
「ほう。なんでだ?」
「最初はまだわからない。その謎を取材するのが主人公」
「よし。で、なにが起こる?」
「イケメンと出会うんだ」
「まて。国会はどこへ行った?」
「ちょっとまて。あとから効いてくる」
「ほんとか?まだ面白い点しかないぞ。
国会はどうなった?マスコミは?犯行声明は?」
「いや、イケメンとの出会いが…」
「…?」
こんな感じで質問に上手に答えられず、
しかもせっかく興味を持ってくれたところから線を作っていないならば、
それはストーリーとして弱いということだ。
ストーリーにはほんとはイメージなんて必要ない。
起こったこと、行動でそれに対応すること、
を繰り返しているうちに、
自然にイメージは湧いてくる。
最初にこんなイメージで、なんて与えなくてもいい。
逃げるやつならひょろくてずるいやつを想像するし、
優しいやつなら柔和なやつを想像するし、
強いやつなら戦闘力の高いやつを想像する。
国会議事堂が爆発したのなら、
その周辺を想像する。
マスコミは、ネットは、犯行声明は。
事件と線と、人が何をするか。
そしてそれがどういう展開になり、
何を争い、
最後はどうなるのか。
それがストーリーの本体だ。
本体だけ話すのだ。
ざっくりやれば1分で話せる。
「もうちょっと詳しく話そうか」と、
3分から5分でディテールを加えて話し直すこともできる。
主人公の台詞や身振り手振りを入れていたら、
もう少しかかるかもしれない。
しかし最初に話したざっくりした話が、
心を奪っていない限り、
それらのディテールなんてどうだっていい。
面白い話は、1分でざっくり話しても面白い。
脚本家というのは、そういう話を作らなければならない。
2020年09月10日
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