映画におけるガワと中身の話はこれまで沢山してきた。
Tシャツを例に、その話をしてみよう。
まずはこちら。
中身は、「なんでアジ?」という面白さ。
ガワは、「イラストやフォントがかわいい」。
このTシャツについて語るとき、
線が丸っこくていいとか、
青が2色使われてるのがいいとか、
ヒレが黄色で、青の補色だねとか、
文字間が間抜けさを強調してるとか、
白バックがアジや文字を引き立たせているとか、
おいしそうとか、
これはサバの誤りでは、
などを語るのは、ガワについて語っていることだ。
本来グロテスクな魚を可愛く描くことでマスコット化してるとか、
突然そんなものをTシャツにする奇抜さとか、
タコとかウニでもグロを可愛くしていけそうとか、
Tシャツの面白さって「何でこれ?」のセンス勝負だよね、
などを語るのは、中身について語っていることだ。
次にこちら。
中身が面白いのに、ガワがよくない。
デブが着ることで国産豚ですと自虐することが面白いので、
その自虐は醜くあるべき、
という見方もある。
だがこれがオシャレなガワ、
たとえば細い明朝で文字自体は小さく、文字間が空いているような、
オシャレデザインだとしたら、
IQの高い自虐になると思う。
なんなら薄いピンクのTシャツで、文字が白抜きとか、
ターコイズでもいい。
女子のデブが着るようなキュートさにしてもデザイン性があると思う。
こういう風に、同じ中身でもガワを変えることで、
より面白く、より待ちが広くなることは可能だ。
逆に中身がなく、ガワ(オシャレ)に全振りしたものがこれだ。
厄介なことは、オシャレはそれだけで金を生むことだ。
中身が香港か台湾のどこだかわからない写真でも、
それがオシャレなら通るのである。
DOUBLEEVENINGANYWAY !
はブランド名で特に内容を指しているわけではないようだ。
さらに調べると三人の写真家が今の気分で選んだものだそうなので、
気分というオシャレに全振りしているわけだね。
ファッションに意味はない。
意味のないのがファッションだ。
(意味のあるファッションとは、喪服とか制服だろう)
ファッションは意味から解き放たれた服のことだ。
だから意味があるのはファッションではないかもしれない。
映画はこうはいかない。
ファッションだけで作られたクソ映画を2時間座ってみてられるはずがない。
たとえば世紀のうんこ作品「FLOWERS」(大貫卓也)でも見ると、
意味がわかると思う。
この写真は、実は天安門の日のどこかの町で、
DOUBLEEVENINGANYWAY ! シリーズは、
毎回、天安門の日にどこかで撮られた写真なのだ、
という中身があれば、
急に中身とガワの両輪を楽しむことができるだろう。
ガワもダサいし中身もダサい例。
「米」とか「タイ米」とか「インディカ米」とか「米朝」
とかなら中身が面白かったかもね。
それならまだ存在価値があった。
また、中身をそうするなら、
それぞれに合ったアートディレクションがあると思う。
次は、中身もいいし、ガワもいいが、
アジには負ける例。
中身を直せばいいのか、ガワを直せばいいのか、
どうするか迷うところだ。
どちらかを直せば、どちらかは物足りないのかも知れない。
つまり、この中身ではいい塩梅のガワに落ち着いた、
適正価格というべきかもね。
このように、
ガワと中身は独立して考えることができる。
また、よくできた中身とガワの関係は、
それしかあり得ないマリアージュまで、
組み合わせを考えられたものをいう。
そして、
中身以上の面白さにはならないし、
中身がないガワは、おしゃれだけで取引される事実がある。
中身とガワを考える上での参考にされたい。
特に結論はない。
現状はこうだというだけだ。
そしてシナリオとは、ガワを除いた中身だけを議論することをいう。
2020年09月11日
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