また乱暴な男女論をやってみよう。
男は、誰がどうやってそれを解決したのかを見るために見る。
女は、癒されるために見る。
女は解決して欲しいんじゃなくて、
共感して欲しいんだ、ということと同じ仮説。
だから最近の映画は解決しないでもよくて、
キャッキャしてればセーフ。
女が見るものは解決を求めなくて、
ただただ、かわいいねかっこいいね癒しだね、
が連続していればよい。
差別的にわざと短絡化している。
女さん、反論してみてください。
ほんとにこうだとしたら、
だから映画は詰まらなくなったのだ。
俺は男で、女の見るものはだいたい詰まらないと考えている。
共感を停止してまで、世界は解決すべき問題に満ちている。
世の中の大変な問題の解決の、
モデルケースやヒントが見たい。
プロジェクトXが面白かったのは、そこだよな。
ネタ切れで終わったけど、
我々は次のネタを提供すべきなのだ。
日本の進化が止まったのは、
女向けの娯楽ばかり作ったからだ。
もちろんわざと煽っている。反論求む。
実は三日ほどで読み終えておりました。感想をどう書いていいのかずっと頭の中で文章を組み立てていたのですが結論をいえば、物語としてとても面白い結果を残しているこの作品に私は感情移入をできませんでした。
大岡さん独自の人生観、人間批評、知識には舌を巻く限りなのになんでだろう?とずっと考え込んでおりました。
「感情移入」これがなかなか曲者で、私はどうしてこの主人公がたとえば他に大切なもの「小鳥」かなにかを飼っていて最初にそれを放しておいて、最後にそのペットが主人公のもとに戻ってくるというちょっとした生身の人間らしい弱みの象徴があったらな〜〜と読みながらずっと考え込んでおりました。もちろん、下村さんという存在が出てきて、ああこれが小鳥のかわりなんだなとは理解はしました。しかしその下村さんが恋愛対象に至らないでもいいけど、感情の交流がなかったな〜〜〜というのが正直な感想です。
これが女性は共感を求めるということでしょうか。
あるいはあの炎のババァが亀でも飼っていてそれを撫でるのが癖だという描写があったのなら、私はなんてお茶目なババアなんだろうと、感情移入できたでしょう。登場人物があまりにも意志と理性に関して超人すぎて(特に雪山にピアノを運び込んで演奏のためには自分の指を潰してしまうピアニストの描写など)弱み(という名の意外性)があまりにありません。画竜点睛を欠いていた・・・・それが感情移入を拒んでいた理由です。
ほんのちょっとのことなんですが超人にも人間臭いところが必要だと思います。人間である限りは。
感情移入を拒むというのなら
以下未見ならば、ネタバレ失礼します。
「風と共に去りぬ」の主人公スカーレット・オハラがそうなんですが、彼女はあまりにクソ我儘で、感情的で、始終人の物を欲しがって、最愛の娘を失って、夫に「君はバカだ、なぜそのことに気付かない?」と別れを告げられてもまだ私の戦いはこれからだ、と生きること、諦めることを潔しとしません。
最後で感情移入できました。彼女はわがままでも圧倒的に強かったのです。可哀想なんて感情を一切拒否した意外性を秘めていました。名作なので観てるかもしれませんが、未見でしたらどうぞ。
勝手に改正案を考えたりして申し訳ありません。でも、女さんとしては正直なところなので。かしこ。
なるほどとても興味深い意見ありがとうございました。
まさにそこの部分が僕のきらいなところなので、
感情移入という点で、なにか根本的な違いがあると考えます。
とても言葉にしづらいのですが、
僕は母的なそれらのディテールがまったくきらいです。
男というのは母から独立して一人で戦っていかなければいけない本能があると思います。それが嫌悪感を抱かせるようです。
理屈ではなく生理的嫌悪感なので、いかんともしがたいですなあ。
それでも話し合うことはできるので、
敵対する意味はないと思いますが。
そして、これらを言葉に出すことが重要だと考えます。
不死の谷はだから、いかに孤独に戦うことに意味を見出すか、
という話だったのかもしれません。
ちなみに周囲の男子には、二章が最も好評なんですよ。不思議なものです。
この差異が、僕が鬼滅の刃に感情移入ができないことと関係していそうで、
僕が少年ジャンプが少女ジャンプになってしまって離れたことと関係してそうですね。
「男は結論を出すことを好み、
女は感情や関係を共有することを好む」
という話もあります。
有名な車のライトがつかないののコピペとか。
まさにそんな感じの断絶を感じました…
実は私も話的には二章が一番好きですよ。一番面白いというか…。さすがに彼に妻との愛のやりとりをせいとはいいません。
母性とかいうものに男が従う必要は全く無いと思います。ただこうして、小鳥だの亀だのいっていたのは意外性が見たいのだと思います。
アッこういう面もある人なんだということです。また、性格的に弱いと思われた人が芯の強さを見せるというのも大好物です。
それが母性だというのなら仕方ないですが…。
ギャップが人の魅力を追加することはわかります。
その具体に亀や小鳥を持ってくることに、
母性を感じました。
小学校の頃から生物係の女が嫌いだった理由が、
やっとわかった気がします。
ウサギ小屋も僕ら男子は破壊したがってたなあ。
非常に興味深いです。
またまた書きこむことをお許しください。負けました。
私は独身ですが母性の片鱗が残っていたようですね。何か男の人が主役だと勝手に成長や、何か見たことのないような芽生えを期待してしまうようです。
不死の谷はそういう女性の身勝手な思い込みを最初から拒絶していましたものね。てんぐ探偵も読もうと思います。
なんでしょうね、男のカッコよさは、
思い込みも含めて「孤高」なのかもしれないですね。
女さんが男に期待することと、男がこうなりたい男の像はズレがあって、
それを鬼滅の刃ではとくに感じましたね。
先程記事でもあげましたが、
コロコロコミックの主役はブサイクであるべき、
という編集者の話はすごくうなづけます。
このへんが、何か断絶の根本的なところなのかもです。
理解すれば対処できるので、なるほどと理解した感じ。
てんぐ探偵ははじめて書いた小説なので、
やはり文章が拙く、直したいのですが放置してます。
そのへんを割り引いてご覧ください…