2020年09月16日

山とは何か

盛り上がるところ、だというのはわかる。
何が盛り上がるんだろう?


利得と危険が釣り合い、
ギャンブルをするところ、
というのが僕の考えだ。

「どうなるか分からないが、
いけそう(でもヤバそう)」なところと言える。


人生は常にこうだとも言えるけど、
そのうちとくに利得の大きそうなところ、
ストーリー全体で相対的に、
大きそうなところを、
山場と呼んでいいと思う。

何回あってもいいと思う。

一回もないのは詰まらないと思う。


ラストが一番の大山であるべきだ。

つまり、最大利得が予測される、
これまでのストーリーの全ての価値が決まる、
大きなギャンブル(冒険)であるべきだ。
そうすると最大の危険と隣り合わせということだ。

それまでは、
小山でも中山でもいい。

たとえば「彼女に勇気を出して声をかける」は、
小山なのか中山なのか大山なのかは、
ストーリーによって異なると思う。

彼女と結婚するのがゴールなラブストーリーならば、
それは小山だろうし、
彼女に告白するのがゴールならば、
それは中山だろうし、
どもりを解消する壮大なドラマならば、
それは大山になるかも知れない。

すべてはストーリー内の相対的な価値で決まる。


銀河連邦を消滅させるブラックホール兵器の発動が、
小山のストーリーだってあり得るだろう。
ノーリスク行動ならばただの日常茶飯事かもしれない。

山にはリスクが必要だ。
失敗したらヤバイぞ、だ。
この危険の香りがあるから緊張する。

つまり山とは、
利得を前にした、危険を理解した上での、
緊張の度合いのことかもしれない。


だいぶ昔に上げた、
ハリウッドで買った絵葉書、
「No Guts, No Story.」というのが一番短く表していて、
(崖を自転車で跳ぼうとする男がいる)
これが山場の象徴だと僕は思っている。

崖というリスク、それを飛び越えた名声という利得、
それを分かった上での準備(男はヘルメットをしている)、
その緊張。
すべてが山場に必要だ。


ストーリー構成を考える上で、
こうしたギリギリの緊張の場面を、
いくつ用意するかは、
脚本家の計画(まさにプロット)である。

目立つのは、通常は4つだろうか。

第一ターニングポイント、
ミッドポイント、
後半のどこか(第二ターニングポイントだとクライマックスに近すぎる)、
クライマックス、
だろうか。

好みにもよるが、
小山、中山、小山、大山
という構成が一般的かな。
中山はビジュアル的、外面的山場になることが多いのに対して、
三番目の山は、内面的な山場になることが多い。

もちろん典型的なこのパターンを崩してもいいし、
山場を増やしても減らしてもいいと思う。

第一ターニングポイントより前に、山場があってもいい。


冒頭には山場は来ない。
それがストーリー全体での相対的な山かどうかは、
始まった時点では分からないからだ。
ただ派手な場面を作ってヒキにする手段はある。

それはあくまでビジュアル的なものにすぎず、
本編から比較すればたいした山場ではなかったりする。
つまり冒頭はハッタリで、
山場ではないことが多い。
(実際に山場であるとすると、
そのあとのことは全てこれを超える山場にしなければならず、
ハードルを上げた自殺行為でしかないので)



山場をつくろう。

成功への予感はなにか。
リスクはなにか。
何をすれば成功なのか。
何をすれば失敗なのか。
そしてその成功(または失敗)の結果、
ストーリーはどのように次に展開するのか。

次の山場までどう繋ぐのか。

山場はストーリーの節目であり、
ハイライトでもある。

ビジュアル的、予算的に派手な山もあれば、
二人が会話するだけなのに壮絶な山場もある。

これらを面白く作れないなら、そもそもストーリーは面白くならないよね。
posted by おおおかとしひこ at 00:38| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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