のように考えることもできる。
「るろうに剣心」の原作を一気読みして思ったことは、
その現在のストーリーには、
不要なほど設定が多かった(深かった)ことだ。
設定の多彩さや深さに対して、
現在のストーリーが多彩でも深くもないので、
思った以上に楽しめなかったのだ。
すなわち、設定だおれ(出落ち)ということだ。
これのさらに極端なのがファイブスター物語で、
あの程度の現在のストーリーであるならば、
設定は1万分の1に削れるというものだ。
まあ、連載物の大長編だから、
どれだけ最初に燃料を積んでおけばいいのか、
わからない部分もあるから、
大目に設定を組む、という方法論はあるだろう。
以下では映画前提の話をする。
大目に設定を組んでおく、なんてあり得ない。
使わない設定など捨てなさい。
そしてもし、過去話のほうが現在話より魅力的ならば、
過去話を本編にしなさい。
現在のストーリーは不要だとすら言える。
(なんなら、失敗した続編のようですらある)
もしその過去話に、それより大過去の設定が必要ならば、
それを語るだけの量にしなさい。
それ以上の設定はいらない。
続編はない。
これきりで勝負。
だとすると、
設定の披露に時間をかけて、
何も使わないのならば、
現在が無駄である。
高々120枚しか書けないのだ。
最低限の設定で、現在を面白く書こう。
面白そうな過去は魅力的だ。
過去が人物を作る。
しかしその造形された人物が、
これからどんな行動や判断や覚悟をして、
どう変化していくかが、物語である。
物語は、過去形ではなく現在形をしている。
シナリオのト書きが現在形で書かれることは、
そういう意味があると僕は思う。
現在とは、これまでやって来た過去と、
これからこうなる、これからこうしようという未来も含む。
三層重ねて面白い。
過去だけが分厚いのは、バランスが悪い。
2020年09月13日
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