本質的で原始的なことばは、音節が短く、
出すのに労力がいらない。
口から出すときも、思考でも、手で書くときもだ。
組み合わせた複合語やややこしい概念やレアなものは、
多少の労力がかかってもよい。
これが、ことばと出力の原則だと思う。
僕がqwertyローマ字を否定するのは、
この原則がかなり壊れていると思うからだ。
もっとも使うAを、もっとも弱い指の左小指に当てているだけで、
この原則の真逆だと思う。
歌詞タイピングというのが世の中にある。
歌の歌詞とはそれこそ口滑らかに出る言葉で、
すっと出てくるから歌いやすいというものだ。
短く、本質的で、強い言葉を使うのが歌というものだ。
https://mobile.twitter.com/Raiu_typing/status/1304897750949978112
での歌詞は、一部はやや言いにくい言葉を使っていて、
するっと通り過ぎない引っかかりを作ってアイデンティティーとしている。
しかし概ねするっと出力できる、
易しくて本質的な言葉遣いの歌詞だ。
しかしそれを、いかに全速力で打つからって、
こんなに歪んだ不自然な指遣いでよいのだろうか?
僕がqwertyローマ字を否定するのは、
こんなにするっと出てくる言葉が、
こんなに不自然な指の曲げ方や、
痙攣のような指遣いをしなければならないところだ。
概念として出力しやすいことばと、
手の労力に比例関係がない。
よい配列というのは、
限りなくそれが比例関係になっていることだと思う。
完璧な配列はないから、
こういう言葉をするっと打てる、
こういうするっと出せないのは苦労して打たないといけない、
こういうするっと出せる言葉なのに打ちにくい、
するっと出せない言葉なのに打ちやすい、
の4つのポイントがあって、
前半二つが多い方が、
優秀な配列だと僕は思う。
もしqwertyローマ字側の人が、
これでも指遣いは楽な方だと主張するのなら、
この指の形で生まれてきた人なのだろうと煽ってみよう。
qwertyローマ字をするっと打てるのは、
僕は特殊能力だと思う。
全ての人が身につけるべき、人間の基本ではないと思う。
タイパーは特殊な大道芸を競う人たちだ、
と考えれば、じゃあqwertyは実践と関係ないよねとも思う。
方便だから、
とqwertyに初めて触れた時は思った。
しかし何十年方便ばかり使わせるのか?
そろそろ方便でない、本命の打鍵法が出てきてもいいでしょ。
本命はフリックかもしれない。
しかし1日1万字書くのに、フリックより薙刀式のほうがいいのは明らかだ。
すっと出てきたことばを、
同じようにすっと指で書ける。
日本語配列とは、そのようなものであるべきだ。
2020年09月14日
この記事へのコメント
コメントを書く