2020年09月18日

来歴

その登場人物は、突然そこにぽっと出てきたわけではない。
どこかで誕生し、子供時代を経験し、
いろいろあってそこにいる。
それを、単純でもいいから作っておくとよい。

なぜそうするべきなのか?


それをしないと、
主人公サイドの行動に反応する、
自動人形のようになってしまうからだ。


主人公の娘に父がいるとして、
喧嘩しているとしよう。

その父は、かつて自分の父とどう喧嘩したか、
覚えているはずだ。
(そしてその父も、以下同様のはずだ)

それを覚えているうえでの喧嘩の仕方と、
ただ娘に対する障害としての人形だと、
全然台詞の含みの豊かさが変わってくる。

年頃の娘は反抗しがちなのを分かったうえで対処するのか、
ただいけませんというだけなのか、
の違いだ。


あるいは、貧乏な人の話を書こうとしたとき、
その人は今突然貧乏になったわけではないだろう。
何か大きな原因はあるのか、
なるべくしてなったのか、
それとも不可抗力だったのか、
周囲は助けなかったのか、
その人の両親はどうしたのか、
などなどを作っておかないと、
「突然ぽっと出の貧乏という設定の人」
になってしまう。

もちろん、本編では、
裕福な状態から貧乏に転落するところまで、
一々描く必要はない。
登場時にすでに貧乏なわけだ。

そして、原因があれば、それを究明することで、
脱することが可能かもしれない。

その貧乏な人が裕福になるストーリーであれば特にそれは重要だけど、
そうでない脇キャラだとしても、
変化のストーリーを組める可能性が出てくる。

つまり、
変化のない貧乏設定の静が、変化という動へ、
書き直せる可能性が出てくる。


バックストーリーのない、
ぽっと出の設定だけの人は、
そういう人でしかない。
変化できず、同じ反応しかしない、
点で静的でしかない。

それは、動的に変化していく、ストーリーの登場人物ではないわけだ。

同世代のことならなんとなく作れるかもしれない。
上の世代はなかなかリアリティがないから作りづらい。
しかし、その人が自分たちと同じ頃どうだったか想像すると、
作りやすいかもしれない。

「父さんの若い頃はな」なんて台詞がドラマによくあるのも、
実はこうしたことを考えたものが、つい漏れてしまったやつなんだね。
こんな下手なセリフは手口がバレバレだぞ。


点は、
同じ絡み方しか出来ない。

何回出てきても同じ反応だ。
それはロボットであり人間ではない。

人は線である。

前こうだったから今度はこうだ、があるし、
それは初手からなのだ。

その「前」を作っておかないから、
出落ちで終わりなのだ。


何も壮絶でドラマチックな過去話を作る必要はない。
本編で使わない前提だからね。

行動や台詞の前提でそれらを感じられる何か、
程度に作っておくと、
その人物は点で生きている、反応ロボットでないものになるだろう。


ちなみに子供は?
それがないよね。
つまり子供は点なのだ。
成長していけば線になる。
大人とは、すでに線の途中の人である。
posted by おおおかとしひこ at 00:56| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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