2020年09月15日

表現と文書の闇

主語と述語は近いほうがいい。
結論から入り第一印象を確定して、
その後各論で再び結論へ導くようにするべきだ。

これは「わかりやすい」文章を書く時の基本中の基本だ。
ところが公務員の文章はそうではないらしい。

これは表現というものの闇だ。


http://blog.esuteru.com/archives/9576632.html

「文章を最後まで読まないやつのために混乱する」と判断するのは、
馬鹿の認識だと思う。

・そもそもわかりにくい文章だった
・但し書きを読まないと致命的なのに、その但し書きを後半に持ってきた
・最後まで読ませるだけの魅力が文章に足りない

の可能性を考慮に入れていないからだ。

誤解すれば致命的である但し書きと、
結論を最初に書き、
あとは流し読みでもなんとかなるレベルに、
文章を仕上げていない怠慢である、
と僕は思う。


それを棚に上げて、責任を回避するためだけに、
利便性をも捨てるとはいかなる狼藉か。

こんな馬鹿のために税金は払わんぞ。
そう判断したその部署全体を罷免したい。
表現のプロ以外が文章など書くな。
かつ、広報なら全員が表現のプロになれ。


文章は、
責任を取りたくないために書くのか?

そんなもの、表現でもなんでもない。
ビビったやつの表現よりも、
それを信じてまっすぐ、できるだけ遠く、できるだけ広く、
どこまでも届けようというのが表現だ。

誤解や誤りの責任は取れ。
しかし遠くまで広くまで届くことは犠牲にするな。
posted by おおおかとしひこ at 15:23| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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