これを悪く言っちゃいけない、僕の知らない理由があるのか?
以下ネタバレなしで。
「ララランド」の時も思った。
たいして面白くも素晴らしくもない凡映画が持ち上げられる理由。
ララランドのときは人脈の問題だったと噂を聞いて、
少し納得した。
まあ、対立候補が弱かったのはあるが。
で、
この映画のどこを話題にして、評価するのだ?
何か巨大な権力が、世論の実験に使ったのでは?
たとえばデジタルの口コミがどれくらい観客を動員させられるか、
本気で実験でもしたのではないか?
(80年代、僕もその噂を聞いた「口裂け女」は、
メディアを介さない口コミが、
どれくらい伝わるかの実験だと明らかにされている)
0点。
「ウィッカーマン」(オリジナル版)なみ。
「ノスタルジア」なみにねむい。
まだ「ドッグヴィル」の方が胸糞を正しく作ってる点で好感が持てる。
70年代の昭和アングラ映画のほうがまだ真剣に作ってたわ。
それとも、定期的にカルト映画が現れないと困る勢力がいるのか?
プロットは平凡以下。
ビジュアル写真のいい資料集になるだろう。以上。
予告編が丁寧に作られすぎてて、気味が悪かった。
ミッドサマー評ありがとうございました。
ブレアウイッチプロジェクトみたいに予告編で面白そうな作品ではあったけど、内容がつまらないのは主人公が終わりまで傍観者だったためでしょうか?逃げるなり立ち向かうなりすれば、多少面白かったかもしれません
脚本論的にいうと、センタークエスチョンがはっきりしてないところですかね。
主人公の目的がないからです。
通常25分ごろの第一ターニングポイントで示されます。
ちょっとあとに例の村に着くので、
その前に「この旅で私は○○をしたい」などのようにしておくといいと思います。
ラストから鑑みれば「私は私の人生の主役になりたい」とかでしょうか。
しかし作者の欲望が「びっくり遊園地の構築」に偏りすぎている嫌いがあったので
(それゆえ主人公が傍観者になる)、
再構築が難しい構造かもです。
「あなたがあなたの人生の主役になる方法がある」と、
村についたときに長老が一言言えば、
以後しばらくは「それはなにか」が気になったかも。