架空の反論をつねに考えよう。
あなたが提供する娯楽に、
つねに反対派がいると想定する。
アベガーみたいなことだ。
何をやっても文句を言われるとしよう。
それに対してどう反論するか、
一度シミュレーションしてみよう。
もしそれが本編にかかわる内容ならば、
検討の余地がある。
極端にいうと、
「男は女をリードするべきだ」
という内容だったとしよう。
「いや、女が男をリードする場面があってもよい」
「適材適所でよい」
「男がつねにリードを強要される場面こそ差別である」
「弱い男もいる」
「リードするということはその場を支配していることであり、恐怖政治と同じである」
などなどなど。
難癖をつけるつもりで良い。
この反論に対して、
いや、これはこうですが、
と上手に答えられるのなら、
それは大丈夫。
それであたふたするようなら、
一方的な何かである可能性がある。
まあ、自分では考えもしなかった反論を、
人はするものである。
色んな反論に出会って、
人はどう反論するのか、経験するとよい。
内なる批評家は、
「こんなんたいしたことないぜ」
などのように抽象的なことしか言わないことで有名だが、
ちゃんとした他人の批評は、
具体的に反論してくることが多い。
それにエアーで答えられるということは、
広く、偏らずに考えている、
と考えてよいだろう。
大概、そこは考えていなかった、
という穴があるものだ。
(もちろん穴だらけのしょうもない脚本は除くぞ)
何が問題なのか、
それすら主観的になっているとわからなくなる。
時々、テーゼに毎回反論してみると、
一体自分が何を言おうとしているのか、
分りやすくなってくる。
2020年09月20日
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