2020年09月20日

反論を考える

架空の反論をつねに考えよう。


あなたが提供する娯楽に、
つねに反対派がいると想定する。
アベガーみたいなことだ。
何をやっても文句を言われるとしよう。

それに対してどう反論するか、
一度シミュレーションしてみよう。
もしそれが本編にかかわる内容ならば、
検討の余地がある。

極端にいうと、
「男は女をリードするべきだ」
という内容だったとしよう。
「いや、女が男をリードする場面があってもよい」
「適材適所でよい」
「男がつねにリードを強要される場面こそ差別である」
「弱い男もいる」
「リードするということはその場を支配していることであり、恐怖政治と同じである」
などなどなど。
難癖をつけるつもりで良い。

この反論に対して、
いや、これはこうですが、
と上手に答えられるのなら、
それは大丈夫。
それであたふたするようなら、
一方的な何かである可能性がある。

まあ、自分では考えもしなかった反論を、
人はするものである。
色んな反論に出会って、
人はどう反論するのか、経験するとよい。

内なる批評家は、
「こんなんたいしたことないぜ」
などのように抽象的なことしか言わないことで有名だが、
ちゃんとした他人の批評は、
具体的に反論してくることが多い。
それにエアーで答えられるということは、
広く、偏らずに考えている、
と考えてよいだろう。

大概、そこは考えていなかった、
という穴があるものだ。
(もちろん穴だらけのしょうもない脚本は除くぞ)

何が問題なのか、
それすら主観的になっているとわからなくなる。
時々、テーゼに毎回反論してみると、
一体自分が何を言おうとしているのか、
分りやすくなってくる。
posted by おおおかとしひこ at 01:17| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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