2020年09月21日

壊れるほどの展開は面白いが、本当に壊しちゃだめだ

この力加減が難しいのだ。


ストーリーにとって一番簡単なのは、
「全員死ぬ」とか、
「全員の目的の、前提だったものが全部無効になる」とか、
「何の意味もなかった」
「全部夢でした」
とかの、
全部ひっくり返して、ダメにすることだ。

上手なバッドエンドはそれに意味を見出すように作ってあるが、
下手なバッドエンドは、
逆張りのひっくり返しだけに終わってしまう。

どんでん返しは、
それまでのストーリーに夢中になっていればいるほど、
驚くので、
ついやってしまいたくなる。

しかし、
これまでのことを全否定するのは簡単だから、
「台無しにする」になってしまうことが多い。

それは下手な壊し方である。

上手な壊し方とは、
これまでのことが全否定されたが、
そのことによって、
次により力強い何かが展開するときである。

つまり、死が再生の前準備になっているときを言う。

下手な人は壊しておしまい。
上手な人は壊すことで次をもっと面白くする。


あああそうだったのかーなるほどー
これは面白い展開だぞー、が正解で、
あああ壊れたー何もなくなったー、鬱ー死ぬーは、
間違いだ。



たとえば。

ベルセルクの「触」は、
壊し過ぎて次を作るまでに二十年かかっている。
やりすぎたね。
でもまだ一本の線がグリフィスに向いていると信じたいが。

あしたのジョーの力石の死は、
壊し過ぎて復活しなかった。
ジョーのその後の生き方は、
完全復活どころか死に魅入られてしまった。

壊してしまってはだめだ。
再生の為の死こそ、一番面白い。
壊すのは簡単で、つくるのは難しい。

つまり、壊れるほどギリギリまでやって、
生まれ変わらせるのは、
実は一番腕がいる。
posted by おおおかとしひこ at 00:43| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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