理想はこれだと思われる。
この三角形が成立しないと、
完全ではないと思う。
できているストーリーというのは、
マイナスから始まって、きちんとプラスで終わることだ。
無理や矛盾やご都合主義がなく、
自然で合理的で最短手順になっていて、
しかもそれがパズルのように緻密に組み合わさっていて、
「こうすればそれは解決する」を、
見事に示したものであるといえる。
アクシデントすらリアルで、
現実はそのようなアクシデントをも利用したりする、
というところまで行くと完璧だ。
これはパズル的な要素だと僕は思う。
だから、
「おみごと」「できている」「うまくはまった」「完璧」
なんかが感想になり、
「無理がある」「できてない」「ここおかしい」
「あれどこいったん?」「これがあるならあれはいらんだろ」
が指摘や批判になるだろう。
どちらかというと、理性的、論理的、理系的な考えを必要とする。
感情がダダ漏れになるのは、
私たちがそのストーリーを見るための、
必要条件ではないかと思う。
つまり、クールで感情を表に出さないものよりも、
人懐っこくて、感情が現れて、
泣く時は思いっきり泣き、
驚く時はたまげて、
嬉しい時はほんとうに嬉しいようにすると、
その感情に人は同調する。
悲しいことがあったあと、
それを嬉しさに転じられたら、
ほんとうによかったねと思う。
他人のどうでもいい感情から、
それがまるで自分の感情だと思えるようになると、
そのストーリーの冒険は、
「自分の冒険」でもあるようになる。
そのドキドキワクワク、成功した後の達成感は、
まるで自分がやったことのように思える。
感情の種類はなるべく沢山あるとよい。
ひとつだけだと飽きてしまうからである。
目まぐるしく変わる感情は、
人のナイーブなところに沢山触れて、
最終的にそれがハッピーエンドならば、
大切な思い出にすらなるだろう。
なまもののような感情こそが、
人を惹きつける。
テーマ性は、
「で、結局それはなんだったのか」
に答える一行のことである。
私たちは、
意味のないことは、意味のないことだと思ってしまうからだ。
それがとても意味のあること、意義のあることだと分かったら、
「そのような意味でこれは凄いことだ/大切なことだ」
などのように、意味付け、ラベリングすることができる。
パズルのように組み合わされた因果関係、
怒涛のように流される感情の結末、
それらを統合する、
「ゆえにこれはこのようなことだったのである」
という意味によるラベリング。
これらの三位一体が揃って、
はじめて名作たりえる。
この意味を付与するには、
ストーリーの構造から隠喩されなければならない。
否定された価値と肯定された価値は対句になり、
変化する前の捨てられたものと、
変化した後の得たものは、対句であるべきだ。
そのようなことがストーリー構造にあって、
はじめてこれはこのような意味があったのだ、
と「わかる」ことになるからだ。
Pは良くなくて、Qは良いのだ、
この怒涛のような感情はただの潰えて消えてゆく感情ではなく、
ここにたどり着くための意味のある旅だったのだ、
と、納得が訪れることが必要だ。
それがないものを見ればわかるけど、
「ほんで、これなんやったん?」となるものは、
結局何にもなっていない。
たとえば「フロムダスクティルドーン」というホラーがあるけど、
ただ騒いでギャーギャーやって、朝が来ればおしまい、
というだけでは、その2時間がなんだったのか、
なんの意味もなく終わってしまう。
それは金曜の夜クラブで騒ぐことと何が違うのかということだ。
あの金曜の夜のクラブは、
僕の人生でおいてもあまりに特別で、
このように一生記憶にとどまることになったのだ、
なぜなら、
とならなければならない。
そうでなければ、
そのストーリーは残す価値などないからだ。
実のところ、
その間だけ空騒ぎしておしまい、
というどうでも良い映画もたくさんある。
ある種の瞬間風速で金を稼ぐやり方もある。
それは、興行としては儲かるかも知れないが、
レベルの低い興行だと思う。
良い興行とは、それだけでない何かを、
繰り返しでもいいから、何回もやれるものだと思う。
なぜなら、その方が人に信用されるものだからだ。
ワンナイトは気持ちいいが人として信用されない。
永遠の愛は人として信用される。
おそらくその違いだろう。
ということで、
名作には、
できているストーリーと、
感情のダダ漏れと、
テーマ性が必要である。
そしてそのどれかもしくは全てが、
時代の何かと噛み合った時、
ヒットが起こると思う。
2020年09月27日
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