2020年09月25日

リアリティとリアル

ネタツイかもしれないやつに、マジレスしてみる。

> 昔、漫画家志望の大学生に「リアリティの高い作品が描きたいんです。ネーム読んでください」と言われ読んだら、1ページ目で主人公のクラスにアイドルが転校して来た。僕がもう少し現実的な設定の方が、と言うと「僕の高校、単位制でよくアイドルが転校して来たんです」と言われ「ごめん」と謝った。

リアリティとリアルの混同について。


あなたにとってのリアルは、
私にとってのリアルではない。
逆もだ。

リアリティのある作品とは、
あなたにとってもリアルだと思えて、
私にとってもリアルだと思えることである。

つまり、
あなたにとってのリアルと、
あなたにとってのリアリティは、
別物である。
私のものについても同様だ。

つまりものごとは4つある。

あなたにとってのリアル、
あなたにとってのリアリティ、
私にとってのリアル、
私にとってのリアリティ。

リアルは現実のこと。
リアリティは現実のこと、または架空のこと。

つまり、
フィクションの仕事とは、
お互いに背景の違うリアルを抱える、
沢山の人へ、
共通のリアリティを提供することをいう。

「私にとってのリアルだから、
万人にとってのリアリティだ」
という人は、
リアリティを間違って認識しているわけだ。


「僕の高校は単位制で、
よくアイドルが転校してきたんです。
そこであったこんな話…」
と冒頭3行があれば、
「リアリティがない」とは言われない。

そんな高校に行かなかった人にも、
「そんなリアルなことが!」と思わせたら、
リアリティの獲得に成功する。

そして、
あなたのリアル体験を告白することは、
リアルの追認でしかなく、
リアリティの構築ではない。


リアリティとは、
あなたがリアルでないものに、
架空で持たせること、
その競争がリアリティ構築、と解釈したほうがいい。

なぜなら、
あなたにとってのリアルはリアリティがあり、
他の人のリアリティを想像できなくなるからだ。

「自分を主人公にしてはいけない」
という戒めと同じである。

あなたにとってのリアリティなどどうでもいい。

あなたと私たちの、
共通のリアリティについて構築し、語るべきである。


あなたの周りで起こったことではなく、
別の世界で起こった別の出来事について、
みんなが思わずリアリティを感じることが、
「リアリティの高い作品」というフィクションである。

あなたの周りで起こった本当のことを書くことは、
「リアルな作品」であり、
フィクションではなく、
ルポタージュやレポートやドキュメントという、
別のジャンルである。

リアリティの高い作品は客観で三人称、
リアルな作品は主観で一人称だ。

その区別のつかないものに、リアリティを語る資格などない。



ちなみに、
「もしアイドルが転校してきたら?」
という非現実的な願望のフィクションに、
「リアリティを与える」のが、
「この高校は単位制で、卒業しやすい」
という設定を「思いつくこと」が、
リアリティの構築ということである。

そして、
そんな事が日常化している高校だと、
たいして面白いことは起こらない。
「日常のリアルは詰まらない」と人は思うようにできているからだ。

だから、「こういう面白いことがあったんですよ」
は、我々の期待する面白さとは違うだろう。

だからこの漫画は、読まなくても詰まらないことがわかってしまう。
あり得ないところにリアリティを紡ぎ出す、
作家の才能がないからである。


リアリティの構築とはたとえば、
「全身タイツの宇宙人が攻めてきた」
という荒唐無稽な設定に、
「え、それはリアリティがあって本当っぽい」
という何かをつくることだぞ?
posted by おおおかとしひこ at 19:20| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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