英語の授業かもしれない。
アメリカの映画では、Bを主張するとき、
必ずといっていいほど、
アンチテーゼAをテーゼBにぶつけることで表現してくる。
これは、何かを表現するときに参考になることだ。
あることを主張するだけでは、
ただの演説である。
Aは間違っていたのだ、と示すことで、
そうでないBが正しい、もしくは確かかもしれない、
という展開にするととても自然になる。
単純に悪Aを描いて正義Bが正しいのだ、
ということだけでなく、
一見世間で正しいと思われている常識Aは間違いだったのだ、
と示すことで、
じゃあその逆のBが正しいのかも知れない、
なんて論法は、物語だけでなくてもおこなわれる。
つまり、闇から光を証明する方法だ。
背理法だと言ってもいいかもしれない。
日本人は背理法が苦手だと思う。
対立するふたつがあって、どちらかが間違っている、
という単純な構造が苦手なのかもしれない。
もっと現実は複雑で割り切れないものだ、
と思っている節はないでもない。
しかし、物事が強く展開して、
強力な吸引力が発生するのは、
分り易いふたつのコントラストと、
一見正しく常識なAが間違っていたのだ、
という場面だったりするよね。
「ポセイドンアドベンチャー」(オリジナル)の、
第一ターニングポイントがこれだ。
主人公以外の多くの人々は、
「ここで助けを待とう」という牧師に従う。
しかし彼らが鉄砲水で全員死亡してしまう衝撃的な場面で、
「他人に助けてもらうのを待つのではなく、
自力で脱出しなければならない」
という展開になっていくのだ。
しかもそういうことをセリフで言わせていないところがうまい。
とくにこれはテーマとは関係なくても起こることに気づこう。
どういう展開だとしても、
Aが失敗、失墜する場面は、
Bが正しかったことを無言で示し、
Bへの強力なターニングポイントになりえるということだ。
勿論、Bが絶対正しいというわけではない。
しかし少なくともAは間違っているという場面をつくることで、
もはやAへ行く道はない、
という展開になるわけだ。
これはターニングポイントのうちで、
リバーサルと呼ばれる、
逆への展開に相当する。
対立するふたつの選択肢が最初に示されれば、
not Aを示すだけで、
but Bを説明する必要はなくなるわけだね。
こうしたことをテクニック的に使えるかどうかは、
展開を書きなれているかにもよる。
名作でこういう場面に出くわしたら、
一時停止して、どういう前振りと、
not Aという劇的な場面と、
自然と展開されるbut Bを研究していくとよい。
(とっさに思い出せなかったので、
古い例を引いてきてしまった。
しかし実は、この場面が一番金がかかっているシーンなんだよね。
それくらいここは劇的な選択肢、ターニングポイントということだ)
テーマ、展開、序盤、
いろんな場面で使えるテクニックだ。
研究に値する。
2020年10月03日
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