もちろん、締め切りによる強制的な力、
他の登場人物の動きを封じたり先んじる、
○○しないと○○になる、
などの強制力がストーリーを動かすことはある。
だが、根本的には主人公の動機が推進力のベースだ。
仮に、
リアルな我々のような、
「別に何かしたいわけじゃないし、
ずっとだらだらして平和にしていたい」
という人物だとする。
これは描きやすい。自分に近いからね。
しかしこのような人は物語の中に出るべきではない。
話が動かないからだ。
仮に締め切りを与える。
「5分以内に爆弾を解除しないと爆発するぞ!」
となれば必死で行動(解除)するだろうが、
それが終わったら、また何もしなくなるだろう。
「家賃を来週までに払わないと追い出すぞ」
ならば短期バイトをするけど、
一回払ったらまた滞納すると思う。
締め切りは火急の行動を促す加速材ではあるものの、
それが終わったら何もなくなる。
仕事燃え尽き症候群はこれだろう。
締め切りがなくなったら、何もわざわざやるものではなかったのだ。
もちろん、
Aの締め切り前にBの締め切りが発生して…
とたすきがけにしていく方法がある。
これは綱渡りになっていくだろう。
しかしABC…と現れる締め切りには法則性がなく、
ただやってくるアクシデントに過ぎず、
ただのご都合主義(ストーリーをつくるための意図的な仕掛け)
だということがバレるだろうね。
仮に、他の登場人物の動きを考えて動くとしよう。
来週までに家賃を払うためにバイトを探す時、
バイトの張り紙の前で立って考えていたら、
他の人も横から見ようとしたので、
自分が面接を受けたいがために、
張り紙を剥がして持ち帰る、
なんて行動に出たりする。
「売れてます! 残りあと一個!」
と売るのは、
他人にとられるのはいやだという心理を突いた、
他人の行動を想起させ、
行動(買う)を促す古典的なやり方だ。
嫌いな人が向こうからやってきたら、
気づかないフリをして角を曲がることもあるだろう。
しかし、これらの行動はすべて、
それが終わればまた怠惰な人物に戻ってしまうことに注意せよ。
つまり、
他から強制された条件によって駆動される行動は、
その条件がなくなる(行動完了、強制終了)と、
強制力もなくなるのだ。
この時点で、行動が停止することに注意せよ。
で、また他から強制されて、を繰り返すと、
「この人物は流されているだけで主体性がない」
という結論になるわけだ。
何が間違っているかというと、
「別に何かしたいわけじゃないし、
ずっとだらだらして平和にしていたい」
という人物に、最初に設定したことである。
つまりこういう人物像は、そもそも物語にならないのだ。
では物語になる人物とはなにか。
「○○をしたい。どうしてもしたい。
○○になりたい。どうしてもなりたい」
という、
目的を果たすまでは、動機が湧いて湧いてしょうがない人物である。
仮にスタート時点でこの動機があれば、
この人物はどうにかして行動して、
多動的ではなく、自ら行動するだろう。
つまり、他動詞ではなく自動詞になるだろう。
障害があっても乗り越えたり回避したり、
反対者や抵抗勢力や敵が来ても、
乗り越えたり回避しながら、目的を遂行するだろう。
目的のためには味方を探し、
嫌いなやつとすら組むかも知れない。
その行動は続く。
目的の達成までである。
もし半ばしか達成しなかったら、
「まだだ」となお行動を続けるに違いない。
つまり、物語の推進力に、動機がなっているわけだ。
もちろん、
動機が物語スタート時点で存在するのは稀だ。
どうするかというと、
動機の発生から描くのだ。
ある人物に強力な動機が発生するまでを描くのが、
序盤の役割だと言ってもよい。
で、火種のないところに炎は立たない。
火種が少ししかないなら、継続して燃えない。
そのために内的問題があるのだ。
その登場人物が宿命的に抱えている宿痾とでもいうものAを設定し、
それとは別に発生したメイン問題Bを解決することは、
自らの宿痾Aを取り払える可能性があると、
直感すればよいのである。
そうすると、「どうしてもBを解決する必要がある。
なぜなら、Aを解決するチャンスであるからだ」
と思えるので、
火種を持ちながらかつ火種が継続的にあることになるわけだ。
これがうまくいかない第一幕は、
たぶん面白くない。
何か事件が起こり、
うわあ大変だ、これを解決することがセンタークエスチョンですよ、
と提示されたとしても、
はいそうですか、と観客は冷めている。
まあそれを解決すれば終わりなんですよね、
とパターンになるのはわかり切っているからだ。
勿論、「どうやってそれを解決するんだろう」
という興味はなくはない。
しかしそれは興味のレベルであり、
映画を見るときの感情的没入感からは遠い。
もっと心情的なものでなければならない。
だからそこに、内的問題を絡めるのだ。
主人公の内的問題が自分に相似していると、
シンクロしやすいのだ。(感情移入)
内的問題Aの解決には、
今起こったセンタークエスチョンBを解決するべきであると。
こうすると主人公の強い動機が生まれ、
観客の感情移入がうまくいき、
ラストまで強力な推進力となるのである。
もちろん、途中で動機は強化されてもいい。
大切な仲間の動機を知り、それをも達成させたい、
と動機が加わることもあるし、
志半ばで倒れる仲間のかわりに、達成したい、
と強化されることもあるだろう。
(大抵は死ぬイベントの発生)
あるいは、内的問題をさらに深く掘り、
ほんとうの悩みを誰かに語ることもあるだろう。
(秘密の共有、過去エピソード)
あるいは、過去がフラッシュバックすることで、
現在の動機を思い出させるテクニックもある。
いずれにせよ、
動機という推進力がない飛行機は、
失速して墜落することは知っておいたほうがよい。
なぜあなたの物語はちょいちょい失速するのか?
動機をチェックすればよい。
そもそもどうしたい?
常に主人公に問いなさい。
何もしたくないのは最悪だ。
ファイアパンチのドマ殺害後、ストーリーとして成立していないのは、
そうした理由である。
「何もしたくないが、妹とただイチャイチャしたい」
という糞メアリースーに成り下がっただけだ。
(もっともその前は動機はあっても行動しない、
トガタに甘えるだけのメアリースーであったが)
主人公の動機のグラフを書けばよい。
いつ、動機の炎が発生したのか?
火種はなんだったか?
その火種はどれくらい残っているか?
どれくらい強いか?
何かを思わずしてしまうほどの炎か?
それは今落ち着いたか?
では再燃するにはどうしたらいいか?
物語スタート時点でマックスでなくてもいい。
徐々に燃え上がり、
第一ターニングポイントで一回ピークになり、
中盤でさらに燃えたり鎮火したり再燃したりして、
クライマックスで最高に燃えればよい。
その推進力が、
物語のパワーそのものではないかと、
僕は思っている。
あなたが人生にやる気があろうがなかろうが関係ない。
日本が、出来れば何もしないでくれという国だろうが関係ない。
世間の白い目も関係ない。
炎上リスクも関係ない。
物語の中の主人公は、
動機という推進剤を沢山もっていないと、
ストーリーは進まないだけの話だ。
反対する者を引きずってでもゴールする、
いわばラガーメンのような、
強い意思や行動力が物語である。
それは、肉体や意志がタフな、恵まれた人物だからではない。
それでは「強い奴が勝つ」みたいなマッチョな話しか書けない。
そうではなく、物語とは、
ごく普通のレベルの人なのに、
事情や内面を抱えた、強い動機から生み出されるものだ。
結果的に、その人はラガーメンのように行動せざるを得ないのだ。
2020年10月05日
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