2020年10月05日

ストーリーの推進力は常に動機だ

もちろん、締め切りによる強制的な力、
他の登場人物の動きを封じたり先んじる、
○○しないと○○になる、
などの強制力がストーリーを動かすことはある。

だが、根本的には主人公の動機が推進力のベースだ。


仮に、
リアルな我々のような、
「別に何かしたいわけじゃないし、
ずっとだらだらして平和にしていたい」
という人物だとする。

これは描きやすい。自分に近いからね。
しかしこのような人は物語の中に出るべきではない。
話が動かないからだ。


仮に締め切りを与える。
「5分以内に爆弾を解除しないと爆発するぞ!」
となれば必死で行動(解除)するだろうが、
それが終わったら、また何もしなくなるだろう。

「家賃を来週までに払わないと追い出すぞ」
ならば短期バイトをするけど、
一回払ったらまた滞納すると思う。

締め切りは火急の行動を促す加速材ではあるものの、
それが終わったら何もなくなる。
仕事燃え尽き症候群はこれだろう。

締め切りがなくなったら、何もわざわざやるものではなかったのだ。
もちろん、
Aの締め切り前にBの締め切りが発生して…
とたすきがけにしていく方法がある。
これは綱渡りになっていくだろう。

しかしABC…と現れる締め切りには法則性がなく、
ただやってくるアクシデントに過ぎず、
ただのご都合主義(ストーリーをつくるための意図的な仕掛け)
だということがバレるだろうね。


仮に、他の登場人物の動きを考えて動くとしよう。

来週までに家賃を払うためにバイトを探す時、
バイトの張り紙の前で立って考えていたら、
他の人も横から見ようとしたので、
自分が面接を受けたいがために、
張り紙を剥がして持ち帰る、
なんて行動に出たりする。

「売れてます! 残りあと一個!」
と売るのは、
他人にとられるのはいやだという心理を突いた、
他人の行動を想起させ、
行動(買う)を促す古典的なやり方だ。

嫌いな人が向こうからやってきたら、
気づかないフリをして角を曲がることもあるだろう。

しかし、これらの行動はすべて、
それが終わればまた怠惰な人物に戻ってしまうことに注意せよ。


つまり、
他から強制された条件によって駆動される行動は、
その条件がなくなる(行動完了、強制終了)と、
強制力もなくなるのだ。

この時点で、行動が停止することに注意せよ。

で、また他から強制されて、を繰り返すと、
「この人物は流されているだけで主体性がない」
という結論になるわけだ。


何が間違っているかというと、
「別に何かしたいわけじゃないし、
ずっとだらだらして平和にしていたい」
という人物に、最初に設定したことである。

つまりこういう人物像は、そもそも物語にならないのだ。


では物語になる人物とはなにか。
「○○をしたい。どうしてもしたい。
○○になりたい。どうしてもなりたい」
という、
目的を果たすまでは、動機が湧いて湧いてしょうがない人物である。


仮にスタート時点でこの動機があれば、
この人物はどうにかして行動して、
多動的ではなく、自ら行動するだろう。

つまり、他動詞ではなく自動詞になるだろう。

障害があっても乗り越えたり回避したり、
反対者や抵抗勢力や敵が来ても、
乗り越えたり回避しながら、目的を遂行するだろう。
目的のためには味方を探し、
嫌いなやつとすら組むかも知れない。
その行動は続く。
目的の達成までである。
もし半ばしか達成しなかったら、
「まだだ」となお行動を続けるに違いない。

つまり、物語の推進力に、動機がなっているわけだ。


もちろん、
動機が物語スタート時点で存在するのは稀だ。

どうするかというと、
動機の発生から描くのだ。

ある人物に強力な動機が発生するまでを描くのが、
序盤の役割だと言ってもよい。


で、火種のないところに炎は立たない。
火種が少ししかないなら、継続して燃えない。

そのために内的問題があるのだ。
その登場人物が宿命的に抱えている宿痾とでもいうものAを設定し、
それとは別に発生したメイン問題Bを解決することは、
自らの宿痾Aを取り払える可能性があると、
直感すればよいのである。

そうすると、「どうしてもBを解決する必要がある。
なぜなら、Aを解決するチャンスであるからだ」
と思えるので、
火種を持ちながらかつ火種が継続的にあることになるわけだ。


これがうまくいかない第一幕は、
たぶん面白くない。

何か事件が起こり、
うわあ大変だ、これを解決することがセンタークエスチョンですよ、
と提示されたとしても、
はいそうですか、と観客は冷めている。

まあそれを解決すれば終わりなんですよね、
とパターンになるのはわかり切っているからだ。

勿論、「どうやってそれを解決するんだろう」
という興味はなくはない。
しかしそれは興味のレベルであり、
映画を見るときの感情的没入感からは遠い。

もっと心情的なものでなければならない。

だからそこに、内的問題を絡めるのだ。
主人公の内的問題が自分に相似していると、
シンクロしやすいのだ。(感情移入)

内的問題Aの解決には、
今起こったセンタークエスチョンBを解決するべきであると。

こうすると主人公の強い動機が生まれ、
観客の感情移入がうまくいき、
ラストまで強力な推進力となるのである。



もちろん、途中で動機は強化されてもいい。

大切な仲間の動機を知り、それをも達成させたい、
と動機が加わることもあるし、
志半ばで倒れる仲間のかわりに、達成したい、
と強化されることもあるだろう。
(大抵は死ぬイベントの発生)

あるいは、内的問題をさらに深く掘り、
ほんとうの悩みを誰かに語ることもあるだろう。
(秘密の共有、過去エピソード)

あるいは、過去がフラッシュバックすることで、
現在の動機を思い出させるテクニックもある。


いずれにせよ、
動機という推進力がない飛行機は、
失速して墜落することは知っておいたほうがよい。



なぜあなたの物語はちょいちょい失速するのか?
動機をチェックすればよい。

そもそもどうしたい?
常に主人公に問いなさい。


何もしたくないのは最悪だ。
ファイアパンチのドマ殺害後、ストーリーとして成立していないのは、
そうした理由である。
「何もしたくないが、妹とただイチャイチャしたい」
という糞メアリースーに成り下がっただけだ。
(もっともその前は動機はあっても行動しない、
トガタに甘えるだけのメアリースーであったが)



主人公の動機のグラフを書けばよい。

いつ、動機の炎が発生したのか?
火種はなんだったか?
その火種はどれくらい残っているか?
どれくらい強いか?

何かを思わずしてしまうほどの炎か?
それは今落ち着いたか?
では再燃するにはどうしたらいいか?

物語スタート時点でマックスでなくてもいい。
徐々に燃え上がり、
第一ターニングポイントで一回ピークになり、
中盤でさらに燃えたり鎮火したり再燃したりして、
クライマックスで最高に燃えればよい。


その推進力が、
物語のパワーそのものではないかと、
僕は思っている。

あなたが人生にやる気があろうがなかろうが関係ない。
日本が、出来れば何もしないでくれという国だろうが関係ない。
世間の白い目も関係ない。
炎上リスクも関係ない。

物語の中の主人公は、
動機という推進剤を沢山もっていないと、
ストーリーは進まないだけの話だ。

反対する者を引きずってでもゴールする、
いわばラガーメンのような、
強い意思や行動力が物語である。
それは、肉体や意志がタフな、恵まれた人物だからではない。
それでは「強い奴が勝つ」みたいなマッチョな話しか書けない。

そうではなく、物語とは、
ごく普通のレベルの人なのに、
事情や内面を抱えた、強い動機から生み出されるものだ。
結果的に、その人はラガーメンのように行動せざるを得ないのだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:15| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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