現実を表現に落とすとき、
現実と同じ分量に落とす必要はない。
そのバランスを変えることで、表現になることもある。
面白い例を見かけたので貼っておく。
https://mobile.twitter.com/purinharumaki/status/1134426373248888832
この場合、
「左右をよく見たのに事故る」
というあるあるをネタにしているわけだ。
で、
実際よりも、
左右の確認が長く、
事故が一瞬であることが、
表現として面白いところだ。
たっぷり間を取っておいて、
落ちは一気にやるわけだ。
これは予想していても笑う。
あまりにも一気に行くからね。
しかも上手なのは、
轢かれる瞬間よりも、
轢かれた後の間の方にたっぷり時間をとっていること。
現実と同じ秒のテンポでいく必要などどこにもない。
あなたがやっているのは表現であり、
ドキュメンタリや再現や現場検証ではない。
たかが「左右を見て渡ったら事故る」
という行為なのに、
分量の変更でこれくらい面白く出来る、
ということは知っておくとよい。
そしてそれは、脚本にもうまく表せるといいよね。
たとえば。
二人、左右を見渡す。
右をものすごい遠くまで確認。来ない。
左をものすごく遠くまで確認。来ない。
の筈なのに、渡った時に限って車が来て死ぬ。
猫 「…………」
みたいに表現すればこのアニメを作れるかもだ。
(文字の多さとテンポは関係ないことに注意)
またこれは一場面内のカット割りの話だけど、
もっと大きな段取りのことや、
さらに大きな事件解決の全貌についても、
バランスを変えることで表現になることの可能性を、
常に考えることだ。
どこをたっぷりやって、
どこを一瞬で決めるかは、
ストーリーテリングなのである。
むしろ一瞬で決めるために、たっぷり間を取る。
何を一瞬に変更するか、何をたっぷりに変更するか、
よくよく考えているだろうか?
2020年09月27日
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