リアルとフィクションは、時間の使い方が違っていてよい例。
リアルだと、落ち込むほうが時間が長い気がする。
長く落ち込んで、
ようやく立ち上がり、
それから苦労する。
成功するまでの時間が長ければ、立ち上がってからの時間がかかるかもしれないが、
一般的に、
落ち込み、悩んでいる時間のほうが長いのではないか?
ストーリーにおいて、その通りにやる必要はない。
落ち込んでいるカットはワンカットにして
(ただしものすごく強い表現にするべきだ)、
それからの立ち上がりに尺をかけるべきだ。
なぜなら、そのほうが面白いからである。
他人の落ち込んでいる姿を、
毎度毎度見てもしょうがないのだ。
フィクションは見世物である。
面白いところに時間をかけるべきである。
(もっとも、美人がため息をついているのをもっと見たい、
という要求はあるだろうが)
落ち込んでいるところは時間が停止している。
立ち上がり、行動するところは時間が動き、
状況が動き始める。
後者を描いたほうが、
時間の使い方としては賢いと思う。
あなたは落ち込みがちな性格だろうか?
くよくよ考えてしまう性格だろうか?
それとストーリーは関係ないぞ。
あなたの人生の反映ではなく、
「立ち上がる面白いストーリー」こそが、
見世物になるべきである。
リアルの人生で落ち込んでいることと、
あなたが落ち込んでいる場面を書くことは、
関係がないし、あるべきではない。
調子が悪いときでも、調子のよい場面を書きたまえ。
そうすればそのストーリーは、
全体的に前向きになるだろう。
2020年10月11日
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