サブプロットは何の為にあるのか。
ストーリーを豊かにする為にある、
と考えようか。
逆に言えば、
「サブプロットのないストーリー」というのは、
一本道で、簡素ではあるが物足りないということだ。
塩だけで味付けした感じか。
もっと風味とか甘みとか、ピリッとした感じとか、
そういうものが欲しいと、人は思うものだ。
現実の事件というのは、
たくさんの人が関わり、
たくさんの因果関係があり、
一筋縄ではいかないものである。
だから、物語の中の事件も、
そのようになっていないと物足りないということだろう。
つまり、サブプロットがあることで、
そのメインプロットは、より本物っぽくなることになるわけだ。
しかしサブプロットも面白くないと、
メインプロットも面白くならない。
それは単なる時間つぶしみたいに見えたら、
いらんだろそれ、ということになる。
味わいの深い、見て良かった、あって良かった、
というサブストーリーになることが重要だ。
ここで短編を書いてきた経験が生きる。
メインプロットにするほどでもない話だが、
挿入すると全体が豊かになるものを入れることで、
メインが深くなるわけだ。
味付けと同じで、それを入れたことで風味が豊かになるわけだ。
ただしなんでも入れればよいというわけではない。
合っているものと合わないものがある。
合うものは、
メインプロットと、関係するものである。
メインプロットの周りにあるものがサブプロットで描かれると、
よりメインの問題が深く見えてきたりする。
多角的に問題を描くことで、より問題を深く考察することが可能になるわけだ。
交通事故を扱うことがメインプロットだとすると、
車メーカーとマスコミの癒着はサブプロットになるかもしれない。
信号機故障と資材の不足がサブプロットになるかもしれない。
あるいは、バイクのことがサブプロットになるかもしれない。
メインとサブの選び方は自由だ。
面白い風に選ぶべきだ。
ただし、「これをやるならこれもやっておかないと片手落ちである」というようなものは、
優先的に選択するべきだろう。
メインの問題解決のほかに、
ラブストーリーがサブプロットになることはよくあることだ。
それは、メインが公的な人物像だとしたら、
ラブストーリーは私的な人物像を描くことになり、
主人公をより多角的に見ることが出来るようになるからである。
で、もちろんのことだが、
メインとサブはどこかで交差しなくてはならない。
あの話とこの話が、ここで繋がるのか!という面白さこそ、
サブプロットの醍醐味のようなものである。
だから、サブプロットは一種の仕込みである。
いつか使うときに向けて、巧妙に仕込まれた伏線でもあるわけだ。
それが表舞台になり、メインプロットを左右する何かになると、
サブプロットが輝く出番となるわけである。
サブプロットはメインプロットを複雑に、豊かにするためにある。
それはよい。
しかしそれはいつかメインに合流しなくては、
ある意味がない。
逆に、
その面白げなサブプロットが、
いつ、どうメインに絡んでくるのか、
そこがサブプロットの一番面白い所というわけだ。
つまり、サブプロットを組むには、
壮大なる逆算が必要ということだ。
なんでも面白ければいいというわけではない。
そのようになるものを、逆算で、考えるべきである。
もっとも、
サブプロットとして面白そうなものをいくつか並べて、
メインとどう絡んだら面白くなるかなあ、などと妄想して、
これ行けそう、というサブプロットを採択すると、
メインとサブのコントロールが効きやすい。
すべては逆算だ。
思いつく順番ではない。
2020年10月13日
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