2020年10月13日

サブプロットとメインプロット

サブプロットは何の為にあるのか。
ストーリーを豊かにする為にある、
と考えようか。


逆に言えば、
「サブプロットのないストーリー」というのは、
一本道で、簡素ではあるが物足りないということだ。
塩だけで味付けした感じか。
もっと風味とか甘みとか、ピリッとした感じとか、
そういうものが欲しいと、人は思うものだ。

現実の事件というのは、
たくさんの人が関わり、
たくさんの因果関係があり、
一筋縄ではいかないものである。
だから、物語の中の事件も、
そのようになっていないと物足りないということだろう。

つまり、サブプロットがあることで、
そのメインプロットは、より本物っぽくなることになるわけだ。

しかしサブプロットも面白くないと、
メインプロットも面白くならない。
それは単なる時間つぶしみたいに見えたら、
いらんだろそれ、ということになる。
味わいの深い、見て良かった、あって良かった、
というサブストーリーになることが重要だ。

ここで短編を書いてきた経験が生きる。
メインプロットにするほどでもない話だが、
挿入すると全体が豊かになるものを入れることで、
メインが深くなるわけだ。
味付けと同じで、それを入れたことで風味が豊かになるわけだ。


ただしなんでも入れればよいというわけではない。
合っているものと合わないものがある。

合うものは、
メインプロットと、関係するものである。
メインプロットの周りにあるものがサブプロットで描かれると、
よりメインの問題が深く見えてきたりする。
多角的に問題を描くことで、より問題を深く考察することが可能になるわけだ。


交通事故を扱うことがメインプロットだとすると、
車メーカーとマスコミの癒着はサブプロットになるかもしれない。
信号機故障と資材の不足がサブプロットになるかもしれない。
あるいは、バイクのことがサブプロットになるかもしれない。
メインとサブの選び方は自由だ。
面白い風に選ぶべきだ。
ただし、「これをやるならこれもやっておかないと片手落ちである」というようなものは、
優先的に選択するべきだろう。


メインの問題解決のほかに、
ラブストーリーがサブプロットになることはよくあることだ。
それは、メインが公的な人物像だとしたら、
ラブストーリーは私的な人物像を描くことになり、
主人公をより多角的に見ることが出来るようになるからである。

で、もちろんのことだが、
メインとサブはどこかで交差しなくてはならない。
あの話とこの話が、ここで繋がるのか!という面白さこそ、
サブプロットの醍醐味のようなものである。
だから、サブプロットは一種の仕込みである。
いつか使うときに向けて、巧妙に仕込まれた伏線でもあるわけだ。
それが表舞台になり、メインプロットを左右する何かになると、
サブプロットが輝く出番となるわけである。


サブプロットはメインプロットを複雑に、豊かにするためにある。
それはよい。
しかしそれはいつかメインに合流しなくては、
ある意味がない。
逆に、
その面白げなサブプロットが、
いつ、どうメインに絡んでくるのか、
そこがサブプロットの一番面白い所というわけだ。
つまり、サブプロットを組むには、
壮大なる逆算が必要ということだ。

なんでも面白ければいいというわけではない。
そのようになるものを、逆算で、考えるべきである。

もっとも、
サブプロットとして面白そうなものをいくつか並べて、
メインとどう絡んだら面白くなるかなあ、などと妄想して、
これ行けそう、というサブプロットを採択すると、
メインとサブのコントロールが効きやすい。
すべては逆算だ。
思いつく順番ではない。
posted by おおおかとしひこ at 01:19| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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