仕事で「すゑひろがりず」のネタを文字起こしする必要があったので、
気づいたこと。
今やYouTubeでプロの漫才ネタが沢山転がってるので、
それを脚本に起こしてみると、すごい勉強になるよ。
笑いは、言い方で起こる部分と、
ストーリーで起こる部分を分離して理解できる。
「好きなコンビ名 漫才」
「好きなコンビ名 ネタ」
とかで検索すれば沢山出てくる。
コンビ名がわからなければ、今誰が来てるか調べよう。
で、脚本形式に起こしてみよう。
手書きがおすすめ。
タイピングだと変換に戸惑い、内容が頭に入らないので。
手書きが遅くても、長くて5分のネタだ。
ワンシーンだと思えば大したことない。
で、分かることは、
言い方で面白くしている部分の発見と分離である。
すゑひろがりずでいうと、狂言系の
「いよーポン」「えいえいえいえい」「ややや」「雅ー!」などは、
文字に起こしても何も面白くない。
でも見てたら真似したくなる面白さがある。
「そんなの関係ねえ!はい、オッパッピー」
と小島よしおを文字にしても面白くないのと同じだ。
知ってれば「あれのことだな」と脳内補完が可能かもだが、
知らない人にはどこが面白いのかわからない。
ビジュアルや言い方で面白くなるものが、
世の中にはある。
文字で表現できない部分だ。
(ちなみに映画やドラマや演劇では、
それをも利用するが、
小説ではそれが不可能である。
だから小説では、それそのものを描写して面白いというのは、
まず最初からあきらめる。
そうではなくて、「想像して、思い描くのが面白い」ビジュアルを、
描くべきなのだ)
一方、それに頼らずとも、
ストーリーとして面白い部分がある。
同じくすゑひろがりずでいうと、
「算数の問題」で、
無茶振りしまくった問題を出し、
焦り、混乱して、
「鬼むずし!」と切れるところは、
脚本で読んでいても面白い。
あるいは、
「三分クッキング」で、
「キューピーのわらべはやらんのか」
「やらぬわ!」
と、ネタに被せていくところも、
脚本で面白い。
これが、ストーリーだ。
ストーリーとは、
「何かが進行している感じ」と、
「進行しているそのもの」のことである。
そして漫才とは、
面白おかしいストーリーをつくることと、
面白おかしいガワを演じることの、
二種類の組み合わせであることが、
脚本化してみることで理解できるようになるはずだ。
(ちなみにやってみればわかるが、
すゑひろがりずのネタは、
殆どが無茶振りをして切れる、
という同じストーリーのネタ違いである)
複数のコンビの、複数のネタでやってみることをお勧めする。
あるいは、
面白かったネタと、つまらなかったネタを、
両方脚本化してみることで、
何が違うのか?を分析することができる。
ほんとは、映画脚本でやるのがベストだけど、
120枚を何本も書くのは地獄なので、
お笑いネタなら短いしフリとオチがあるしで、
ちょうどいい短編だなと。
このエクササイズは、
あなたの中に「目」をつくることである。
10本もやれば、
点のガワと、線のストーリーが分離できるようになる。
まずは面白いネタを最後まで見て笑うこと。
そしてそれを脚本化することで、
自分の面白いと思った正体はどこにあるのか知ること。
脚本というものはどういうものか、
ストーリーというのはどういうものか、
感覚で掴む練習になるよ。
これをやると、
かつて全てのドリフのネタを書いていた、
脚本家で座長のいかりや長介が、
面白い顔や動きだけで観客を笑わせ、
あまつさえそれだけで独走しようとした、
志村や加藤を快く思っていなかった対立が、
すごくよくわかる。
いかりやはストーリーで笑わせようとした。
志村や加藤は点で笑わそうとした。
ほんとは両方必要なのだ。
言い方だけで面白かった、
「ズクダンブングンゲーム」や「ダンソンフィーザキー」や、
「ラッスンゴレライ」やPPAPは、
瞬間風速だけはあったがすぐ消えた。
志村や加藤は、独立してもなおストーリーのあるコントをやったことで、
随分長く生きた。
そして、脚本とは、
ストーリーのすべてを書くためのものだ。
2020年10月02日
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