ってなるのがベスト。
ストーリーのことを忘れて、
現実世界の段取りのことを考える。
仕事とはすべて逆算であり、
ラストを楽にするために仕込むのだ。
カレーを作るときに、
何故材料を丁寧に切りそろえるのか?
それは、
いっぺんに鍋に投入して煮るためである。
数学の証明でもよくある。
なんとかかんとか………1
なんとかかんとか………2
1と2より、3。QED.
というタイプのやつだ。
「いっぺんに鍋に投入する」ために、
「1と2より、3という三段論法を使う」ために、
それまでの仕込み1、2を丁寧にコツコツやるのである。
これは、最初からそうだとわかっていなければ、
とても退屈で忍耐のいる仕事である。
その準備が功を奏して、
最後に見事な花が咲くまでやるわけだ。
仕事は準備9割、なんて言われるがそういうことだ。
実はストーリーもそうである。
クライマックスという花を見るために、
それ以前の9割を仕込みに使うのである。
ただし、
ストーリーは娯楽であるから、
少しも詰まらなくなってはいけない。
つまり、
最初から面白いようにして、
次へ引っ張り続け、
しかもいつのまにかすべての仕込みが終わっていて、
いつのまにかクライマックスに来ていて、
あとは煮るだけ、
あとは一行でやっつけるだけ、
になっているのがベストだ。
気持ちの良いデートをしていたら、
いつのまにかパンツ一枚にされていたようなものだろうか。
仕事や現実では、
「なるほど、
これまでの単調で辛い作業は、
すべてこの一瞬のためであったのか」だが、
ストーリーでは、
「なるほど、
これまでの楽しい娯楽や夢中や感動は、
すべてこの一瞬のためであったのか」
になるべきである、
ということだ。
ただ楽しい娯楽を連続させても、
すべてこの一瞬のためだったのだ、と収束しない。
ラストのためにただ積み上げていくだけだと、
おそらく退屈だろう。
間をとれ、というよりは、両方やりなさい。
1も2も面白くして、
しかも、QEDをパーフェクトに決めるのだ。
とてつもなく難しいことを言っている。
しかしそれが面白いストーリーの構造である。
2020年10月14日
この記事へのコメント
コメントを書く