2020年10月14日

色々やってたのは、この為だったのか!

ってなるのがベスト。


ストーリーのことを忘れて、
現実世界の段取りのことを考える。

仕事とはすべて逆算であり、
ラストを楽にするために仕込むのだ。

カレーを作るときに、
何故材料を丁寧に切りそろえるのか?
それは、
いっぺんに鍋に投入して煮るためである。

数学の証明でもよくある。
なんとかかんとか………1
なんとかかんとか………2
1と2より、3。QED.

というタイプのやつだ。

「いっぺんに鍋に投入する」ために、
「1と2より、3という三段論法を使う」ために、
それまでの仕込み1、2を丁寧にコツコツやるのである。


これは、最初からそうだとわかっていなければ、
とても退屈で忍耐のいる仕事である。
その準備が功を奏して、
最後に見事な花が咲くまでやるわけだ。

仕事は準備9割、なんて言われるがそういうことだ。


実はストーリーもそうである。
クライマックスという花を見るために、
それ以前の9割を仕込みに使うのである。

ただし、
ストーリーは娯楽であるから、
少しも詰まらなくなってはいけない。

つまり、
最初から面白いようにして、
次へ引っ張り続け、
しかもいつのまにかすべての仕込みが終わっていて、
いつのまにかクライマックスに来ていて、
あとは煮るだけ、
あとは一行でやっつけるだけ、
になっているのがベストだ。

気持ちの良いデートをしていたら、
いつのまにかパンツ一枚にされていたようなものだろうか。


仕事や現実では、
「なるほど、
これまでの単調で辛い作業は、
すべてこの一瞬のためであったのか」だが、
ストーリーでは、
「なるほど、
これまでの楽しい娯楽や夢中や感動は、
すべてこの一瞬のためであったのか」
になるべきである、
ということだ。


ただ楽しい娯楽を連続させても、
すべてこの一瞬のためだったのだ、と収束しない。
ラストのためにただ積み上げていくだけだと、
おそらく退屈だろう。

間をとれ、というよりは、両方やりなさい。

1も2も面白くして、
しかも、QEDをパーフェクトに決めるのだ。

とてつもなく難しいことを言っている。
しかしそれが面白いストーリーの構造である。
posted by おおおかとしひこ at 00:00| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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