2020年10月05日

【薙刀式】便宜上

タイピングは、手書きの文字書きに比べて、
便宜上こうだと決めた、たくさんの「余計な決め事」があると思う。
僕はそれを少しでもなくして、すっと書けるようにしたい。


デフォルトのqwertyローマ字だとして。

・便宜上、ローマ字で打つ。
・便宜上、そのローマ字は真のローマ字ではなく、入力用の特殊ローマ字。
・便宜上、qwerty配列を使う。
・便宜上、一文字を出すのに数打かかる。
・便宜上、1モーラは1打ではない。
・便宜上、左ロウスタッガードで打つ。
・便宜上、標準運指は歪んでいる。
・便宜上、日本人の手にあっていない19ピッチを使う。
・便宜上、重たい押下圧の安いキースイッチを使う。
・便宜上、大量生産できる「同じキー」を使ったキーボードを使う。
・便宜上、かな漢字変換を用いる。
 変換候補から選んだり、自動切り分けされた文節を訂正する。
・便宜上、最適化されていない動線で、
 シフトやコントロールやカーソルや変換や無変換や、
 BSやエンターやESCやDELやHOMEやENDを用いて、
 文や文章を操作しなければならない。
・便宜上、補完入力は遠いTABキーを使う。
・便宜上、漢字を直接入力することは不可能。
・便宜上、原稿用紙のようなレイアウト(升目を埋めていく)を使う。
 続け字やフリーレイアウトではない。
 したがって、省略気味の文字を使えず、逐一入力が必要。
・便宜上、電気が必要。バッテリー残りや充電を気にする必要。
・便宜上、水に濡らしり落下したり傷付いたらアウト。
・便宜上、机と椅子が必要で、正しい姿勢でなければならない。


これだけの「便宜上」がある。
とりあえずこうした、のを使い続ける、
デファクトスタンダードだ。

僕はこれらに我慢がならない。

ペン一本で紙に書く手軽さ、気軽さ、
本来そうして発達したものが、
テクノロジーの未発達状態で便宜を強いられているのに我慢がならない。

その怒りこそが僕の原点であり、
改善の原動力だ。
僕はたくさんはやく書きたいだけなのに、
PCが足枷になっている。

それが原理上出来ないならば、いますぐPCを窓から捨てればいいのだが、
すべては「便宜上」になっているところに、
これまでのテクノロジーを積み上げてきた人たちに、
怠慢と無知を感じるのだ。


僕は結局、この「便宜上」をひとつひとつ潰して、
自分が便宜を図ることで、
タイムラグやコストがかかることを、
回避しようとしてきたのだと思う。

今のところ、以下のようになった。
○は克服成功、●はまだそのまま。


○ローマ字で打つ→カナ配列薙刀式に
○入力用の特殊ローマ字→カナなので考えなくていい
○qwerty配列→薙刀式配列で指の頻度や動線を最適化
○一文字を出すのに数打かかる→1カナ1アクション
○1モーラは1打ではない→1モーラ1アクション
○左ロウスタッガード→格子配列左右分離の自作キーボード
○標準運指は歪んでいる→格子配列で左右対称、数字段と小指外は捨てた
○重たい押下圧→シリコンシート仕込みのバネ交換ルブ済みスピードスイッチ
○19ピッチ→自作3D配置で短く感じるように
○同じキー→すべて異なる形の3Dキーキャップで指にフィット
●便宜上、かな漢字変換を用いる。
 変換候補から選んだり、自動切り分けされた文節を訂正する。
○最適化されていない動線→機能も含む配列、編集モード
○補完入力→そもそも打鍵が速くなったので不要に
●便宜上、漢字を直接入力することは不可能。
●便宜上、原稿用紙のようなレイアウト(升目を埋めていく)を使う。
 続け字やフリーレイアウトではない。
 したがって、省略気味の文字を使えず、逐一入力が必要。
●便宜上、電気が必要。バッテリー残りや充電を気にする必要。
●便宜上、水に濡らしり落下したり傷付いたらアウト。
●便宜上、机と椅子が必要で、正しい姿勢でなければならない。


水や衝撃に強く、バッテリーも無限な紙に勝る素材はないので、
後半三つはPCを使う限りついてまわる。
スマホはいくつかの課題をクリアしたが、フリックは薙刀式に負ける。

あとはかな漢字変換と、マス目のエディタか。

漢直にすればOKだから、
いつか漢直はやってみたい。
しかし薙刀式がベースにしたのは、
日本語文章を全部カナに戻した時の連接統計だから、
漢直用のカナ配列が新たに必要になるだろうことは、
火を見るより明らか。険しい山だ。

マス目のエディタは、
イラレやinDesignなどのイラスト系ソフトで書く、
というアプローチもあると思う。
実際、京極夏彦はinDesignで執筆している。

僕は現在軽さにおいてiTextを愛用しているが、
別の何かを使えばまた変わるかもしれない。



たくさんの便宜上が、PCによるモノ書きには多すぎる。

その便宜に僕の脳内メモリが取られて、
紙に書きつけるよりも文章のクオリティが下がる。

それがもっとも、モノ書きとしてやってはいけないこと。
にも関わらずライターが何も言わないのは、馬鹿なのだ。

馬鹿なライターが安く使われて、日本の文章のレベルが下がったのが、
この20年だったと僕は考えている。
メール文化も内部時間の消費で無駄だと思う
(毎日決まった時間に会社のフロアにいて、
気になったことはすぐに聞いたり打ち合わせるのが、
結局最高効率だと思う)が、
そもそもqwertyでなければもっとマシだったろうに。


その便宜はほんとうに必要か?
取っ払えるなら取っ払い、
脳と直結して文章を書くべきではないか?

その便宜に払う一生続く無駄を、
さっさと捨てるべきだ。

qwertyローマ字は日本語を書くのにベストではない。
デファクトは「誰も手をつけられず決まったもの」でしかない。
それらを崩し、
我々の手にスルスル書ける日本語を取り戻すべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 10:54| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。