2020年10月15日

被せて言う

これを脚本で表すことは困難である。
一行ずつ書いていくメディアだからね。

しかしマシンガントークなどは、
相手の発言の最後に被せて次を言う事はしょっちゅうだ。
これを意識するにはどうしたらいいだろう。


会話のテンポを上げることしかないと思う。
つまり、一行当たりの文字数を減らしていく。

「だらだらセリフを長いこといって、
適当なところで切って、次のセリフを促す」
「僕の思うことをいうと、ああでもない
こうでもないと色々考えた結果……」

というよりも、

「なんでや?」
「こうやで!」
「あかんのか!」
「あかんわ!」

となっているほうが被せやすいわけだ。

撮影現場では、
編集が切りやすいように、
台詞を被せないようにすることが求められる。
被せるのはあとでやるからいいと。

しかしそうすると、
被せないように喋るので、
被せて編集してもテンポが悪く、
全体にゆったりしてしまうミスをよくやる。


自分がやった例でいうと、
ドラマ風魔の10話、デート中、
「小次郎ほんとは怖いんでしょ?」
「全然! いつもぴょんぴょん飛んでますから!」
「ホントに?」
「ホントに!」
「ホントに?」
「ホントに!」
「(ため息をついて)……小次郎、無理しなくてもいいよ?」
なんて所は、マシンガントークになるように書いたし、
実際テンポを上げて、
被せて撮っている。

編集で切りづらくなるから、一応間を取ったバージョンも撮っておき、
ハサミを入れづらいときは、
それらで補完することもした。
それによって高速でテンポよい会話の編集になったというわけだ。

あるいは、
以前の記事にも書いたけど、
漫才の脚本起こしをやってみればわかる。
脚本の台詞を、実際の芸人はだいぶ被せて言っていることが分ると思う。

忠実に脚本化するならば、全部
「(被せて)」
の指示を入れないといけないくらい、
テンポよく被せて被せて話を進めている。

だからこそ、ふとした間を笑いに変えられるのだろう。


そもそも、
なぜ被せているのか、
ということが問題だ。

ただテンポをよくしたいから被せる、
ということでは、意味がない。


怒っているから相手の話を聞かない、
ノリノリで楽しい振りをしているが、
真の心を隠しているためなるべく早く済ませたい、
嘘がばれないように慌てている、
受けるかどうか不安であるから、被せて早く終わらそうとしている、
被せることで相手を動揺させようとしている、
などの、
「その人が被せる理由」が、
脚本にはほんとうは必要だ。


ドラマ風魔の先の例でいうと、
「本心を隠している」ことがノリノリを作っている、
ということなので、
いくらでもテンポを上げて撮っても成立するわけだ。

そうした動機こそが、
表現であることの、
「被せ」に繋がってくるということを理解しよう。


ただ被せたい。
それだけでは何も生まない。
全体的に速くしたい。
それはなぜか?
その理由こそが、動機や意図である。

そしてその理想は、説明せずとも、
読み取れるようなドラマになっていることだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:30| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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